| 半世紀特集 |
| 将棋の王位戦7番勝負は今期で50周年を迎える。1960年の第1期以来、夏のタイトル戦として多くの将棋ファンに親しまれ、数々の名勝負の記録を残してきた。激戦を制して、これまで王位に就いたのは、初代の大山康晴十五世名人(故人)から深浦康市現王位まで計11人。第50期の7番勝負が13日に開幕するのを前に、王位戦半世紀の歴史を振り返る。 |
| 13連覇阻んだ生涯最高の手 内藤國雄九段 名勝負を回想 |
勝敗の分かれ目は、1勝1敗のタイで迎えた第3局、玉頭戦となった中盤に指した「3六歩」だった。大山玉の動きを止める“遠見の角”の打ち場を作る絶妙手で「わが生涯で最高の手でした」と回想する。この一手で大山は調子を乱し、鮮やかな即詰みに散った。 18歳で四段に昇格して以来「30歳までにタイトルを取る」「大山名人からタイトルを奪う」という目標に向かって猛進していた。中原から棋聖をとって一つの夢をかなえたことで、大山との王位戦は冷静さを失わずに指せたという。「この人と同時代で戦えるとはなんと幸せかという“質のよい闘志”に支えられました。勝ちになっても焦らず、悪くなってもくじけない姿勢を貫きました」 次の第14期で中原に王位を譲ったが、1982年の第23期には見事に奪回して返り咲いた。内藤九段は「心残りは一度も防衛できなかったこと。もう少し懸命になって防衛戦を戦えば…」と今も悔しそうに話す。 |
| 全盛誇った大山、中原時代 | |
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札幌市の奥座敷・定山渓温泉「栖霞荘」で指された第1局は、先手塚田の初手「7六歩」で幕を開けた。優劣不明の大接戦が繰り広げられたが、大山は終局間際の相手の猛攻を巧みにかわして先勝。第4局を落としたものの、結局4勝1敗で勝利を収め、初代王位に就いた。 大山は第2期以降、丸田祐三、花村元司ら実力者の挑戦を次々とはねのけて防衛を重ねた。王位戦は創設してかなりの間、全盛を誇った大山のためにあったと言っても過言ではなかった。 大山の王位13連覇を阻んだのは“関西のホープ”内藤國雄八段だった。72年の第13期、内藤は王位、王将の2冠を保持する大山を相手に奮戦。研究を重ねた「鳥刺し戦法」も駆使、4勝1敗の成績で見事に巨人を倒した。 「勝負だもの、勝つ時があれば負ける時もあるでしょう」。このとき、大山は淡々と語ったが、その後再び王位を手にすることはなかった。
この「中原時代」には内藤をはじめ米長邦雄、勝浦修ら同世代棋士との熱戦が話題になったが、中でも79年の第20期は棋史に残る激闘だった。7連覇を目指す中原4冠に挑んだのはライバルの米長棋王。米長はそれまでタイトル戦で中原に7回挑戦し、すべて敗れていた。 両者がっぷり四つに組んで一進一退の展開になった。決戦は第7局に持ち越されたが、互いに譲らず、千日手で指し直しに。事実上の第8局、必死の粘りで耐えた米長が終盤に入って逆転に成功し、念願のタイトルを奪取した。 王位戦50年の歴史の中で、大山、中原という巨星が君臨した20年あまりを前期とすれば、80年代―90年代初めの中期は、内藤、加藤一二三、森鶏二(けいじ)らの有力棋士が王位を奪い合った“戦国時代”。この時期をリードしたのは、高橋道雄と谷川浩司という二人の若い棋士だった。 高橋は83年の第24期、最低段位記録(当時)の五段で初タイトルを獲得した。第26期に加藤を、翌27期には米長を無敗で下した。谷川は89年の第30期に森から王位を奪回。竜王、王座と併せて3冠で迎えた中田宏樹五段との第32期は、2連敗後に巻き返して3連勝。そして第6局、一気に相手玉を攻め立てる得意の「光速流」の寄せで連続防衛を達成した。 |
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| 躍動の羽生、次々に金字塔 | |
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王位戦の後期は、平成の大棋士・羽生善治の活躍を軸に展開していく。羽生が初めて王位戦に登場したのは93年の第34期。以来、昨年の第49期まで16期連続で7番勝負に出場した。その間、永世王位の資格を獲得、史上初の7冠制覇など、金字塔を次々に打ち立てていく。 郷田真隆と羽生との、22歳同士の対決となった第34期は、挑戦者の羽生がストレート勝ちしてタイトルを奪取。この勝利で羽生は史上最年少の5冠王となった。防衛に失敗した郷田は「やり直してまた王位戦に出てきます」と誓った。 翌35期、その言葉通り挑戦者となった郷田は、羽生王位に2勝を先行されたものの、第3局に渾身(こんしん)の読みを披露して76手の短手数で1勝を返す。4、5局も長考の応酬から郷田が正確無比の攻めを仕掛けて連勝し、勝負をひっくり返した。結果は羽生のタイトル初防衛で終わったが、密度の濃い将棋を披露した若い二人がともに評価を高めた。羽生は翌年度、7冠制覇の偉業を成し遂げる。 97年の第38期、5連覇を目指す羽生は、同世代のライバル佐藤康光八段と対戦。竜王、名人のタイトルを続けて失った羽生にとっては再起をかけた勝負だったが、終わってみれば4勝1敗の貫禄(かんろく)勝ち。この年に新設された永世称号の制度の適用を受けた。羽生は「永世王位はとても名誉なこと」と喜んだ。 羽生対谷川の黄金カードとなった2002年の第43期。10連覇がかかる羽生に対して、谷川は史上最速での通算千勝達成まであと1勝と迫っていた。北海道・旭川での第1局、両者らしい変化に富んだ難解な将棋になったが、谷川が68手という短手数で勝ち、大記録を達成した。勢いに乗った谷川は第2、3局も勝って開幕3連勝。最後は光速流の鮮やかな攻めで11年ぶりの王位復位を決めた。 07年の第48期、羽生王位に挑んだのは、11年ぶり2度目の挑戦となる深浦康市八段。深浦が4局までに3勝を上げて追い詰めると、羽生も負けじと2連勝して決戦の第7局へ。中盤から激しく羽生を攻め立てたあと、難解な局面を競り勝ち初タイトル。「出身地の九州にタイトルを持ち帰ることができてうれしい」と喜びを語った。二人の激闘は将棋大賞の名局賞に選ばれた。深浦は翌第49期もリターンマッチを挑んだ羽生をフルセットの末に退け、初防衛した。 |
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| 羽生善治名人 思い出深い「大一番」 | |
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初出場は22歳。それから3期連続の郷田さんとの対局は思い出深いですね。今から見ると、若いというか20代のカラーがよく出た将棋でした。永世王位の資格を得た佐藤さんとの第38期も忘れられない。昔の対局部屋を今も毎年のように使わせていただいてますが、部屋に入ると当時の記憶が鮮明によみがえってきます。 初出場でタイトルをとり、史上最年少5冠王になりました。記録と言えば、谷川さんとの第43期があります。私は10連覇を、谷川さんは通算千勝をかけた大勝負でした。振り返ると、王位戦はいつもなにかしらの記録がからむ棋戦でした。だからこそ印象深い対局が多いのでしょう。 |
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