啄木の風景 生誕120周年記念企画
評論 筆者・桜井健治氏
<1> 生誕120年を迎えて
<2> 海峡を越えて
<3> 詩人の住むべき地
<4> 歌うことなき人々
<5> 雪あかりの町
<6> 書簡の魅力
<7> 評論の魅力
<8> 日記の魅力
<9> 海外における評価
<10> 次代への顕彰
素顔の啄木像
生涯年表 桜井健治氏監修
啄木を偲ぶ歌碑・施設

 石川啄木の文学世界に少なからぬ影響を与えた北海道での漂泊生活−。啄木は取り巻く「風景」の中で、何を感じとり、どのように自らの感性を磨いたのか。啄木の足跡を追うとともに、次世代へと伝えたい啄木の魅力について函館市在住の啄木研究家、桜井健治さんに綴っていただいた。
<1> 生誕120年を迎えて
衰え知らない啄木の魅力

 一昨年秋のことである。理美容の専門学校から、創立50周年の記念誌を発行するのにあたり、石川啄木に関する一文の執筆を求められた。

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函館市大森浜の公園にたたずむ啄木の銅像。後方には函館山がそびえ、観光地にもなっている
 さらに昨年春には、全道の社交飲食業関係者の函館大会開催に際し、やはり記念誌を発行するということで同様の依頼があった。これらの団体はいずれも、直接にせよ、間接にせよ、啄木とは縁もゆかりもない。

 なぜ啄木に関する執筆依頼なのか、質してみた。双方からの回答は、いずれも共通して「函館で出す記念誌だからこそ、是非とも啄木を取り上げて紹介したい」という内容であった。

 結局私は、前者には「床屋と石川啄木」と題し、啄木が函館の谷地頭町にあった理髪店を利用した折、弟子のことを思い出して詠んだ歌「函館の床屋の弟子を おもい出ぬ 耳剃らせるがこころよかりし」をテーマに、一文を寄せた。

 また、後者には、飲食業関係者の全道大会ということもあり、「歌人啄木と函館」と題し、「かなしめば高く笑ひき 酒をもて 悶を解すといふ年上の友」という歌を取り上げた。啄木が青柳町の借家住まいの中で、文芸結社苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人達と短歌競詠に励む一方で、湯呑み茶碗で酒を飲み交しながら友情を深めていった函館生活について紹介した。

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啄木が住んでいた函館市青柳町の住宅跡。石垣の上に、その家はあった
 私が執筆を断らなかったのは、両団体とも啄木とは何ら関係がないのにもかかわらず、この機会に啄木と函館の関わりを、自分たちの知識としてしっかりととらえようとする熱意にほだされたからにほかならない。

 これはひとつの事例にしかすぎないのだが、今や世界的にも注目され、愛され、親しまれている啄木は、一部の熱狂的ファンや研究家のためにだけ存在するのではない。いつの間にか、私たちの日常生活の中に自然ととけ込み、私たちの心にさまざまなインパクトを与えているように思えてならない。そのことは、誰もが啄木の歌の一首や二首を容易に口ずさむことができることからも、十分うかがえるのである。

 啄木は、明治19年(1886)2月20日、岩手県南岩手郡日戸村(本年2月の合併により、現在は盛岡市玉山区日戸)に誕生した。今年でちょうど120年―。

 節目の年を迎えて、北海道では今年1月、釧路と函館の道新文化センターが、いち早く生誕120年記念の共同事業「釧路・函館文学散歩」を企画した。

 道内から40名を超える参加者があり、啄木の歌に思いをはせながら、厳しい寒さにもかかわらず、魅力あふれる釧路と函館の街並みに、啄木の足跡を訪ね、また、地元の啄木研究家の講演に耳を傾けた。

 道内では、引き続き函館市文学館と北海道立文学館において、また、啄木のふる里盛岡でも、石川啄木記念館が中心となり、それぞれ生誕120年にふさわしい特別企画の記念事業を実施している。

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中央図書館の完成により、現在閉館中の旧図書館本館。かつて主事の岡田健蔵が1913年、啄木の遺骨を一時預かっていたエピソードも
 一世紀余を経て、改めて石川啄木を再認識する上で、またとない絶好の機会となるが、それにしても未だ衰えを知らない啄木の魅力、その源泉は一体どこに秘められているのであろうか。

 啄木の放つ魅力とは、21世紀を迎えた今も、時代の古さを感じさせない感性から生まれた詩歌作品であり、鋭い視点でとらえた評論や日記などの世界であり、人間啄木の貧しさに負けない生き方である。生誕120年を機に、次回から、北海道での漂泊生活の1年と、その文学作品から、改めて啄木を見つめ直してみることは、無駄な作業ではないだろう。