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2006/02/05(日) |
| 自宅での最期 「かかりつけ医」確保が鍵 |
時代劇では将軍の臨終に御典医が付き添い、大奥の女性たちが控えている。一方、庶民は長屋で「おとっつあん」という娘の泣き声の中で死んでいく。また戦後間もないころは八割が家で亡くなっていたが、現在は病院死が81・6%(二○○三年現在)である。江戸時代と現在だけを見て乱暴に言えば、自宅で医師や家族にみとられて死ぬのは恵まれた人である。
治る見込みがなく死期が迫っているときに最期までどこにいたいかという質問に対し、六割が自宅であるが、最期まで自宅でと回答したのは全体の一割である(厚労省調査)。自宅にいたいが、家族への負担、容体急変時の対応などを考えると実際は無理と考える人が大半であることがうかがわれる。
ところで日本は高齢社会となったことを反映して年間死亡者数が増加し、○三年度にはついに百万人を突破した。しかも今後ますます増えていくことが見込まれている。そこで国は一つには自宅で家族に見守られて亡くなりたいという希望を実現させるために、もう一つは医療費削減を企図して、在宅死が可能となるような施策を今回の医療制度改革の中に盛り込んだ。
もっとも改革の骨子は在宅医療の充実をめざすもので、具体的には二十四時間医師が対応する在宅療養支援診療所(仮称)の創設にある。読者の中には、わが家のかかりつけの医師は今でも昼夜を問わず駆けつけてくれるわ、という方もいよう。しかしこれは恵まれた例であり、そもそも都市部では「かかりつけ医」がいること自体珍しい。改革案は二十四時間体制に高い診療報酬点数をつけることでこの診療所の普及を図ろうとしている。
成功の鍵はこれに参画する医師の確保にある。しかし郡部では病院・医師不足、都会では繁閑の格差が著しい病院事情。これを解消しないでは、二十四時間診療など絵に描いたもちになりかねない。国には医師数抑制の方針を転換し、どこに金を使いどこを締めるかを見極めることを期待したい。
(片桐由喜・小樽商大助教授) |
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