私のふるさとは網走市に近い網走管内清里町です。
山形県出身のおじいちゃんが、父らと共にかいたくに入った土地で、家の仕事は乳牛を飼うらく農業です。
家のある場所は清里町のなかでも摩周湖に近い札弦(さっつる)という地区で、斜里岳や裏摩周の山など三方を山に囲まれていて、私の家も山のなかにあります。小学校名は「光岳小」で、校庭からはその名の通りにきれいな山並みが望めます。
私には六つ上の姉と四つ上の兄がいて、三人きょうだいの末っ子です。姉や兄と少し年がはなれているうえ、近所には同じくらいの年の子もいなかったので、小学校に入るまでは、いつも牛の世話をしたり畑で働く母の後をついて歩いていました。とっても母親っ子だったんです。
今でこそ家の前の道路もほ装されていますが、私の小さなころはがたがた道でした。小学校までは、三キロ以上あって、山を一つこえての通学でした。夏は自転車で、冬は母が車で送ってくれました。仕事がいそがしい時などは、むかえの車はなくて歩いて帰って来るのですが、ふぶきの時などは寒くて大変でした。
小学校は、すごく古い木造平屋で、歩くとギシギシ音がするし、夏にはだしで遊ぶと、ろうかの板が割れていて、けがをしそうなほど古い校舎でした。六年生の時に新しい鉄筋の校舎になったのですが、今思うと木造校舎で学んだことが本当になつかしくて、良かったと思います。
低学年のころは、午後三時の両親の仕事休みに間に合うように家に帰るんです。ジャガイモやビート畑、牧草地などで一しょにおやつを食べるのが楽しみでした。
子供のころは牛乳をしぼる親牛と子牛を合わせて五十頭くらい飼育していました。今ではいろいろな農作業もすっかり機械化されましたが、まだ、両親が手で乳しぼりをしている時代で、私も牛にけられないように注意しながら、おっかなびっくり乳しぼりをしました。なつかしいなー。
めったに帰れない清里町ですが、自然が豊かですばらしい私のふるさとです。 |