小さなころは、写真を写されるのが大きらいでした。当時は、カメラやフィルムの性能が良くなかったから、日中でも写真を写すための光として、マグネシウムという金属を発火させる必要があったんです。このマグネシウムが発火すると、「ボンッ!」というとても大きな音がして、目がくらむような光の後に燃えかすのすすが降ってくるんです。だから、とてもこわかったんですよ。
今は、カメラなどの性能も向上して少しくらい暗くても良く写るし、フラッシュ装置があるから便利になりました。写真ぎらいだった私が、写真や文章で、自分の思っていることを表現するフォトジャーナリストになったのは、科学技術の進歩のおかげもあると思います。
私が生まれ、育ったのは室蘭市内の茶津町というところです。父は日本製鋼所に勤めており、会社のそばにあったとても大きな社宅に両親と暮らしていました。
ひとりっ子だったので、わがままいっぱいに育てられ、意地を張ってよく母を困らせたものです。生まれつき体が弱かったので、すぐにかぜをひいたり、のどを痛めて病院通いが続き、両親を心配させました。病院通いは、小学校に入学してからも続き、お医者さんが一番の友達だったくらいです。
そのころは、スポーツマンだった父に連れられて、魚つりやゴルフのお供をするのが大きな楽しみでした。イタンキ浜というきれいな浜に続く丘りょうに、当時はゴルフ場があったんです。そのゴルフ場の草っぱらで、海をながめたり花をつんだりして遊びました。
おひな祭りの時などは、友達が家に来てくれて一緒にお祝いをしたり、「おままごと」遊びで夜おそくまで時間のたつのを忘れることもありました。でも、よく通った病院の裏の山で、春に「かたくり」や山菜を採ったり、いっせいに咲く花をスケッチしたことが一番印象に残っていることです。
それと、父が買ってくれた私の顔より大きな地球ぎ。日本がずいぶん小さくて、世界がとっても広く感じました。大好きな自然と大きな世界へのあこがれは、おとなになっても忘れることができない思い出です。 |