ポケモンの生みの親

田尻智さん
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 (1)こん虫採集がもとに

 (2)クワガタとり名人に

 (3)ヘビの食事にしょうげき

 (4)好きなこと 大切にして
◆田尻さん略歴◆

 たじり・さとし 1965年東京生まれ。国立東京工業高等専門学校在学中の83年、テレビゲームのミニコミ誌「ゲームフリーク」を創刊。89年「ゲームフリーク」の名でゲームソフト会社を仲間とともに設立し社長に。96年同社がつくったゲームボーイ用の「ポケットモンスター」が任天堂から発売され大ヒット。


(1)こん虫採集がもとに
 ぼくが仲間といっしょにつくったゲームソフト「ポケットモンスター(ポケモン)」が世に出てから、五年あまりたちました。北海道の小学生はポケモンとどう付き合ってくれているかな。

 ポケモンは、ぼくが子供のときに熱中したこん虫採集などの遊びがもとになって生まれたゲームです。

 都会では今、野原を走り回って虫をとる体験なんて、ほとんどできなくなっているよね。ポケモンのゲームには、自然が少なくなった時代の子供たちに、ぼくが体験したぞくぞくする楽しさを味わってもらいたいという思いがこめられているんだ。

 そんなポケモンの原点でもあるぼくの子供時代のことをこれから話すけれど、その前に、ポケモンのことをあまり知らない読者のために、少し説明をするね。

 ポケモンのゲームは、優しゅうなポケモン・トレーナーをめざす主人公がいろいろなポケモンを集め育て、ライバルのトレーナーたちと戦いながら物語を進めます。

 ぜひ知ってほしいのは、通信ケーブルで友達のゲーム機とつなげば、ポケモンを交かんできる点です。交かんする方がポケモンの成長スピードなどがより高まるんだよ。

 一人で遊ぶより、交かんすることでもっと楽しくなるのが、それまでのゲームとはちがう特色なんだ。だから、友達とポケモンでいっしょに遊んだことが、おとなになってみんなの大切な思い出になってくれるとうれしいな。

 さて、前置きがちょっと長くなったけれど、ぼくの子供のころの話を始めるね。

 東京都世田谷区のサラリーマン家庭に生まれ、ぼくが生後間もなく、両親は東京の西部の町田市に移りました。

 今の町田市は人口が密集した通勤者のマチだけれど、ぼくが小学生のころは、意外に自然が残っていて、原っぱや用水路、ぬま地などが結構いっぱいあったんだ。

 そんな自然の遊び場で虫や魚をとるのが、ぼくの日課のようになっていたね。

 とくに、ぼくを夢中にさせたのが、最初にもふれたこん虫採集。中でも思い入れが強かったのはクワガタかな。

 そしてぼくはついに、クワガタをつかまえる秘策を考えついたんだけれど、その話は次回にするね。


(2)クワガタとり名人に
 ぼくは東京都町田市の第六小に入学しました。三十年くらい前の町田市は人口が増え続け、新しい学校がどんどんできていて、とちゅうから南大谷小という新設校に編入になったんだ。

 南大谷小の三年生のころだったかな。ぼくは友達から「こん虫博士」と呼ばれるほど虫が大好きで、図かんなどでこん虫のことをよく調べたけれど、本当に知りたいことは意外に書いてなくて、本はあまり役に立たないことが子供心にわかりました。

 たとえば、クワガタ。「真夜中にエサの黒ミツを木にぬったりしてつかまえる」と、本には書いてあります。確かに、夜活動する生き物なので、この方法でつかまえられるのかもしれないけれど、実際に子供が真夜中にこん虫とりをするのは難しいよね。

 そこでぼくは、クワガタをつかまえる別の良い方法がきっとあるはずだと、習性などをさらに調べました。

 その結果、「夜活動を終えたクワガタは、昼間ねむるために朝になると木から降りてくるにちがいない」と気がつき、木の根元に、ミツではなく石を置いてみたんだ。思った通り、お目当てのノコギリクワガタが石の下にもぐりこんで、ねていたよ。

 つかまえるのが難しいノコギリクワガタは、友達の間で最も人気が高いこん虫だったけれど、ぼくは、この方法でクワガタとりの名人になることができました。

 こん虫をとる方法だけではなく、育て方もいろいろ工夫したよ。カブトムシはじゅ命が短く、つかまえた年の秋には死んでしまうけれど、クワガタはうまく世話をすれば三年は生きるんだ。大切なのは、秋の急激な気温の変化から守ってやることだね。

 そのために、虫かごではなく水そうタイプの容器で育て、おがくずを入れたよ。保温のためと言っても暖ぼうの近くに置いたらかえって早く死んでしまう。冬でも気温の変化が少ないトイレのゆかが、実は最も良い場所だったんだ。エサも、本に出ていたスイカより、くさりにくいリンゴの方が効果があったよ。

 こん虫が大好きだったからここまでできたんだね。子供のころの探求心は、ポケモンなどのゲーム作りにも生きていると思います。みなさんも本当に好きなことにはとことんちょう戦してください。


(3)ヘビの食事にしょうげき
 問題です。「ポケットモンスター(ポケモン)」のゲームには、何種類のポケモンがいるでしょう。

 そう、正解は二百五十一種類だね。最初はピカチュウをはじめ百五十一種類だったけれど、新顔のセレビィなど百種類が後で増えたんだ。でも、このすべてをゲット(つかまえること)するのはなかなか難しいよ。

 さて、みんなが好きなポケモンは何かな。ぼくは、オタマ(オタマジャクシ)ポケモンのニョロモに特別な思い入れがあります。それは、これから話す子供のときの水遊びなどの思い出と深い関係があるからなんだ。

 前回ふれた通り、小学生のころはこん虫採集が大好きでしたが、虫以外の生き物にも興味がありました。

 まず、子供時代に見た光景のなかで、強く記おくに残っているのが、ヘビの食事シーンです。友達と野球をしていて、草むらにころがるボールを追いかけて行ったら、なんとヘビがカエルをのみこもうとしていたんだ。

 ヘビがカエルを食べることは、話には聞いていたけれど、それを本当に目にして、すごいしょうげきを受けました。人生で最初に感動した場面と言えるかもしれません。

 それから、当時ぼくが住んでいた東京の町田市には、はいきょとなった大きなプール施設があったんだ。いつも雨水が一メートルほどの深さにたまっていたかな。

 立ち入り禁止になっていて、学校の友達は近づこうとしなかったけれど、ぼくは気になって仕方がなかった。

 ある時、くずれかかった建物の中に思い切って入ってみたら、水たまりはザリガニの宝庫だったよ。いくらでもザリガニがとれ、はいきょもいいもんだ、と思ったね。

 そして、ぬまではカエルやオタマジャクシなどをとって遊びました。水にすむ生き物には、こん虫とはまたちがう面白さがあるよ。とくに興味深かったのはオタマジャクシで、おなかがすけて見え、腸がうずを巻いているのがはっきりわかりました。

 オタマポケモンのニョロモのおなかにえがかれたうず巻きには、こん虫採集にも魚とりにも精いっぱい打ちこんだ子供時代の楽しい思い出がこめられているのです。


(4)好きなこと 大切にして
 ポケットモンスター(ポケモン)のゲームは、ぼくが子供時代に楽しんだこん虫採集や魚とりの体験がもとになってできたことは前に話したよね。

 さらに、小学校生活のなかで忘れられないのが、「とんぼ少年団」という活動です。

 週末に上級生が下級生にスポーツやゲームを教えたりするものだけれど、周りの上級生はあまり熱心でなかった。

 そこでぼくは、大好きだった担任の先生の呼びかけに思わず手を挙げ、団長を引き受けたんだ。

 少年団の活動以外にも、室町時代の商業の様子などを自分たちで調べたりしたよ。今とちがい、便利なコピー機がなかったので、調べた内容は手書きのガリ版印刷でクラスの友達に配ったんだ。

 いろいろなことにちょう戦した小学校生活だったけれど、中学校に進むと、あれほど好きだったこん虫採集をしなくなりました。

 ぼくが住んでいた東京・町田市からどんどん自然がなくなり、虫たちが急速に姿を消していったからだけれど、それに加えて、ぼくを夢中にさせる新しい遊びと出会ったんだ。

 二十年以上前に全国で大ブームが起きたテレビゲームです。こん虫採集ができなくなった分を取りもどすように、ゲームセンターに通い、インベーダーゲームに打ちこみました。ブームが下火になって、それまで一回百円だったゲームが半額になったときはうれしかったな。

 子供のゲームのやり過ぎを心配するおとなも多いと思うけれど、ぼくのゲームセンター通いは、ゲームソフトを作る今の仕事の出発点にもなっています。

 そして、仲間とともに「ゲームフリーク」という会社をつくり、六年がかりでやっと完成させたポケモンのゲームは、いま世界中に輸出されています。

 近い将来、日本と外国の子供が通信で直接ポケモンを交かんできるようにするのがぼくの夢です。

 みんなも、自分の好きなことを大切にして、大きく夢をふくらませてください。

 聞き手・編集委員 上出 義樹


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