アウトドア(野外)活動のガイド

ロス・フィンドレーさん
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 (1)自然の中で創造力を

 (2)やぶでターザンごっこ

 (3)冬でもはだしで遊ぶ

 (4)もっともっと外で遊ぼう
◆ロス・フィンドレーさん略歴◆

 1964年、オーストラリア・メルボルン生まれ。キャンベラ大卒業(スポーツ科学専攻)。89年に来日、札幌でスキー学校の指導者を務め、92年に後志管内倶知安町に移り住む。建設会社などで働いた後、94年にNAC(ニセコ・アドベンチャー・センター)を設立し、95年からいろいろなアウトドアツアーを始める。


(1)自然の中で創造力を
 夏休みはだいぶ前に終わったけど、みなさんはどんな思い出をつくったのかな。

 ぼくは羊蹄山とニセコ山系のふもとの後志管内倶知安町で、アウトドアのいろいろな活動を楽しんでもらう会社を経営していて、実際に尻別川などをゴムボートで下るラフティング(四月から十一月はじめ)のガイドも務めている。だから、ぼくの顔を知っている人も結構いるんじゃないかと思う。

 もっとも、ラフティングやカヌーなどに取り組んでいる会社はニセコ周辺には五つか六つもあるし、ガイドの数も多いから、どこまでぼくの顔を覚えているか、ほんとうのところはわからないね。 

 ラフティングはスリルがあるし、今年も人気。客は昨年と同じくらい、二万八千人程度を見こんでいるんだけど、最近はリピーター、つまり何度もくり返して楽しむ人がすごく多い。ぼくとしては家族で楽しんでくれるのが一番うれしいけど、このごろは全国各地から修学旅行でやってくる人も増えました。でも小学生の場合は全部道内だね。

 この間は、東京の南方にある小笠原諸島の高校生たち約二十人が修学旅行でやってきたよ。みんな素直で、うそがないというか、とてもいいふん囲気で楽しんでくれた。もっとも最近はアウトドア活動を野外教育という面で考えることが多くなっているし、自然の中でみんながチームワークよく創造力を養ってくれればいいと思う。なにか自分にプラスになるものを持ち帰ってほしいですね。

 ぼくの子どものころ? まず学校の制度が日本と少し違います。小学校は六年生まであるけど、その後はハイスクールで、七年生から十二年生まである。これは日本の中学・高校にあたるのだろうね。

 生まれたのはメルボルン。だけど、大学の職員だった父の仕事の関係で、二歳のときにシドニーという大きな都市に移った。きょうだいは三つ年上の姉スーザン、二つ年下の妹ケリーで、ぼくを含めて三人。

 ぼくがどんな子どもだったかというと、まあ、ふ通の子だったと思うな。


(2)やぶでターザンごっこ
 日本の緑はすごく濃い、という印象だね。

 ぼくが子ども時代を過ごした家はシドニー郊外にあったけど、羊蹄山やニセコの自然みたいに、緑は豊かではないんだ。それでも家の周りにはササやぶというか、林というか、そんな感じのブッシュがあったので、そういうブッシュの中を友だちといっしょにあちこち歩いていっぱい遊んだ。

 ターザンごっこみたいなこともしたけど、でも危険なめにあったことはないよ。

 学校では、得意科目は特になかったし、そんなに勉強もしなかったな。成績はふ通だね。特に週末は両親が家にいてゆっくりくつろぐので、子どもは家にいてはいけない、外に行って遊びなさい、とよく言われました。昼は家でテレビを見るのも親から禁止されたけど、それは近所の子どもも同じようなものだった。だから、みんな外に集まって遊んだの。もちろん、雨が降ったらだめだったけど…。

 とにかく家の中にはいたくなかったね。外に出て、走ったり、跳んだり、体を動かすのがとても好きな子どもだったから、スポーツはいろいろやった。陸上競技の短きょりは速いほうだったね。だけど、クラブに所属したのはサッカーだけだね。始めたのは六歳ごろかな。

 オーストラリアというとラグビーが盛んだと思われているけど、実はラグビーよりもサッカーのほうが人気があって、ぼくはフォワードでがんばった。もちろん勝ったときは気持ちよかったけど、サッカーは勝っても負けても楽しいスポーツだよ。とにかくぼくは走ったり、ボールをけったりするのが好きだったんだ。

 冬は、十歳ごろからスキーを楽しんだよ。シドニーは雪は降らないから、約五百キロはなれたスキー場まで家族で出かけ、だいたい一週間はたい在するんだ。ぼくはその間、スキースクールに通って、毎日五時間はびっしりスキーをするの。友だちもそこで見つける。でも、雪の質はそんなによくなかった。

 けがしたこと? ないですよ。


(3)冬でもはだしで遊ぶ
 子どものころ、外で遊ぶときは冬でもセーターを着て短パンをはき、はだしになったね。雪が降らないせいもあったけど、きたないという感じはなくて、むしろくつ下の上にくつをはくと気持ち悪いの。

 つまり、はだしの方が気持ちがいいんです。ぼくだけじゃなくて、まわりの子どももみんなそうだった。

 小学校五、六年生のときだったかな、空手を始めたね。家から歩いて十分ぐらいのところに道場があって、そこでけいこする人がみんな跳んだり、けったりしていて楽しそうだった。それでぼくもやりたかったの。

 週に二回通って、午後七時から九時まで二時間やったけど、子どもは五人から十人ぐらい。日本人の先生もいたけど、中心になって教えていたのはオーストラリア人だったよ。空手は高校までやったかな。最後は一級まで進んだ。でも今はやっていません。

 シドニーの海岸ではずっとサーフィンを楽しんだけど、川下りのラフティングはしなかったね。というより、そもそもラフティングができるような川が家の近くになかった。それに子どものときは、そういうレジャーはあまりなかったと思う。

 ただ、大学に入ってから、いろんな友だちとニュージーランドに行って、ラフティングをしたことはあるんだ。それにカヤックもやった。

 カヤックというと、うちの会社では今年から新しいメニューとして海のアドベンチャーとも言えるシーカヤックを取り入れたんだけど、あいにく今年の夏は天気にめぐまれず、それほど暑くもならなかったし、あまり盛り上がらなかったね。それがちょっと、残念。

 もともとやってみたかったスポーツは、山登りかな。というのも、シドニーでは身近に羊蹄山のような山がいっさいないでしょう。つまり、適当な山がなかったからなんだ。

 今は自分の会社でインドア・ロッククライミングの壁をつくって指導しているけど、最初は倶知安にある自分の家に壁をつくって遊んでいたんだよ。

 結局、いま、アウトドアの仕事で取り組んでいるメニューは、大きくなってから始めたのが多いんだ。ちょっと意外だったかな。でも今から思えば、子どものときからのいろんな体験が基そになって、今のアウトドアの仕事に役立っているのかもしれないね。


(4)もっともっと外で遊ぼう
 大きくなったら何になろうとか、そんな夢をいだいたことは別にありません。いろいろと質問されれば、あれこれ思い出すけど…。学校が休みのときはずっと外でせいいっぱい遊んでいた。

 今回は話の最後だから意見めいたことも話すけど、今の子どもは学校のほかに塾もあるから、ぼくなんかは、いったいいつ遊ぶの?と思う。でも、そのうち毎週土・日曜日が休みになったり、サマータイムも導入されたりすれば、少しずつ変わっていくかもしれないね。

 川下りのラフティングをする子どもたちを見ても、あまり外で遊んでいないことがすぐわかる。歩き方一つとってもそうなの。整地されたところしか歩けなかったりね。

 子どもたちには、もっともっと外で遊んでほしい。遊ばないと、学校で教えられたことしかできなくなると思うし、大切な創造力が育たないの。

 羊蹄山・ニセコ地域はすごく住みやすい。治安がいい。ただ、子どもが変なおとなに声をかけられ、車に連れこまれないようにするとか、そういう注意をしなければならないってのはシドニーも日本も同じかな。

 日本のことは、深く考えたことはない。日本に来ることを真剣に考えるようになったのは大学生のころ。

 当時、オーストラリアは景気が悪かったけど、日本はバブル景気のピークだったでしょう。友だちも結構、日本で仕事をしていた。そんな友だちの話なんかを聞いてぼくも日本に行ったほうがいいかな、自分にとって絶対にマイナスにならないし、と考えたんだ。そうして、シドニーで日本語コースに通って勉強した。あとは日本に来てから。

 ところで、リゾートというのは一週間ぐらいはたい在して仕事を忘れ、ゆっくりするところだと思っているけど、リゾートとしてのニセコ周辺は何日間もいたいという気にはなかなかならない。基本的な整備がまだ不十分なの。

 まず足りないのは旅行者が安全に歩ける道路。宿泊し設を出て、周囲にどこか、いいところがないかなと気持ちをそそられ、楽しみながら歩く。そんな道があればなと思う。ただお金もかかるし、ほんとに少しずつよくしないと…。

 聞き手・編集委員 佐藤孝雄


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