旭川市旭山動物園園長

小菅正夫さん
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 (1)セミの羽化にむ中

 (2)ネズミ増え大さわぎ

 (3)道庁の池でフナつり

 (4)手術に感動 じゅう医に
◆小菅さん略歴◆

 こすげ・まさお 1948年札幌市生まれ。73年に北大獣医学部を卒業、旭川市旭山動物園に入り、95年園長に。水中トンネルでペンギンの遊泳を見せる「ぺんぎん館」などユニークな動物の展示が注目されている。旭川市在住。


(1)セミの羽化にむ中
 「動物園の園長だからきっと子どものころから動物好きだったんでしょう」とよくいわれます。確かに家では犬、ネコ、ニワトリ、小鳥を飼っていたし、自分もこん虫やカエルを育てていたので、「そうだなあ」と思いますが、私と同じ世代の人はみんな子どものころは動物に興味を持っていたはずですよ。だって自分の身近なところに自然や動物があったからです。

 生まれたのは札幌市中央区の南三西七。街の中心からもススキノからも近いところで家はせんいおろしの問屋でした。きょうだいは姉と妹。男は私一人で真ん中。そのせいかどちらかというとおとなしい性格だったようです。幼稚園でほかの男の子に泣かされて帰ってくると父親に「もっと元気を出せ」としかられたものでした。

 それが少しずつ活発になってきたのはやっぱり動物がきっかけだったのかなあ。家に裏庭があってよくセミが飛んできたんですが、家にいたおとなに木に登ってとってくれとせがんだのです。そのセミをずっと持っていたきおくがあります。

 それからけっこういたずらみたいなことをするようになって。そうそう、あれは幼稚園のころの冬でした。家の前を通る馬そり、といってもみんなはなんのことかわからないでしょう。いわゆる馬車なんだけども、馬がひく荷台は冬は大きなそりになるんです。それで当時は竹スキーという長さ三十センチぐらいの竹の板を長ぐつの下につけて、馬そりの荷台の後ろにつかまってすべっていたんです。それがなにかのひょうしにころんでしまい、全身が馬フンだらけになったことがあります。

 小学生になるといたずらはエスカレートしてぼうけんのようなことをするようになりました。道庁近くに北大植物園があって家からもそんなにはなれていません。それで園が閉まった後、夜七時ごろに自転車で行って、前もってへいの下に穴をあけてつくってあった「秘密の出入り口」から中にしのびこみました。夜になると木の下からはい上がってくるアナゼミの幼虫をつかまえるためなんです。家に持って帰って羽化させるのが楽しくてね。

 でも、そのころはまだ自分が獣医師になって動物園で働くなんてことはまったく考えていませんでしたよ。


(2)ネズミ増え大さわぎ
 小学校は家のすぐそばにある札幌の西創成小(現在の創成小)でした。前回話したように幼稚園のときに小動物に対する興味が芽生えたんだけど、小学生になるとそれがどんどんふくらんでいって手のつけられないほどになりました。

 春になると自転車に乗って手稲というところまで行き、サンショウウオの卵をとってきます。それをふ化させてこんどはみんなとだれがえっ冬させることができるかを競うんです。

 キリギリスとりもやったよ。だれが一番多くつかまえることができるかってね。まあ百匹はつかまえないと自まんできなかったなあ。そしてどれだけ長生きさせるかまた競争するんです。

 それと夏祭りの時にはゼニガメを買ってきて冬になると真わたにくるんでタンスの中に入れておきました。おばあちゃんが教えてくれたんですよ、たしか。

 そういえば小学校五、六年のころこんなこともありました。近所に住んでいた友だちがナンキンネズミを飼っていたんです。体は白くて目は赤。毎日学校の帰りにその友だちの家に寄ったので、そこのお母さんがあきれてオスとメスのつがいをくれました。りんご箱で巣箱をつくって育てたら、子どもがどんどん増えて百匹ぐらいになってねえ。

 ところがある日、へやのカギをかけ忘れて、家で飼っていたネコが入りこんであらされてしまいました。父に「好きなことをやってもいいが、管理をしっかりしろ」とこっぴどくしかられました。しかし、それで終わりませんでした。こんどはにげたナンキンネズミと屋根裏のハツカネズミの混血がはんしょくして家中ネズミだらけになっちゃったんです。

 そんな息子に何を思ったのか両親がバイオリンを習わせたのです。小学三年のころだったかなあ。父親の弟がクラシック音楽が好きで、すすめられたわけ。でも、動物のほうが興味あったし、もともときらいなものだから練習もしない。バイオリンの先生にはいつもしかられていました。

 しかし、それだけ動物に夢中になっていたのに陵雲中(現在の中央中)に進学すると興味の対象は柔道に移ってしまいました。たまたまろう下で練習しているのを見て、なんとなく入部してしまうのだけど、それからは試合に出るのが楽しくて楽しくて。けっきょく柔道は大学卒業まで自分とは切っても切れない関係になりました。


(3)道庁の池でフナつり
 これまで子どものころのわんぱくぶりを話してきたけど、いまのみんなとはずいぶんちがうと思うだろうね。第一、はいているくつがちがうよ。みんなはスニーカーだろう。おじさんのこどものころはいつも長ぐつだよ。きたないところ、危険なところにつねに入っていけるからさ。何があるか分からないところが楽しいんだけど、おとなはそれを分かってくれない。例えばゲジゲジなんて子どもには宝物だよ。いまだったら「そんなもの捨てなさい」といわれるだろうね。

 小学五年のころ、新潟県の佐渡島にこん虫採集に行きました。佐渡に行く前に東京の親せきの家にとまって、夜、部屋でねているとバタンバタンと音がして三センチぐらいの虫が飛んでいる。つかまえて虫かごに入れて次の日の朝、みんなに見せたら「きゃー、ゴキブリだ」と大さわぎ。それを札幌の家に持ち帰って標本にして夏休みの宿題にしちゃいました。みんなは、そんないたずらみたいなことはしないんだろうなあ。

 いたずらといえば道庁の庭に池があって、そこは良いつり場だったんだ。でも、つり禁止。で、朝早く起きて人がいないところでフナをつっていたわけ。ある日、いつものように池に糸をたれていると後ろから「ボク、つれるかい?」「ほれ、こんなに」とふり向くと、守衛のおじさんだった。つりざおは取り上げられて返してもらえなかった。

 さて、中学時代はじゅう道に熱中して動物からはなれていたけど、札幌南高校時代もじゅう道のほかにレスリング、ラグビーをかけもちしていそがしかったんだ。でも、友だちでチョウの標本を集めているのがいて、よく豊平峡というところにこん虫採集に行きました。ただ、かれとちがうのはこっちは標本には興味がなくて、チョウだけでなくクワガタなんかも生きたまま持ってきてどうやってみつを吸わせるか、長く生かすか一生けん命でした。

 ほとんどまともに勉強をしなかったので、担任の先生もまさか大学進学を希望しているとは思っていなかったようです。「どうするんだ」と聞かれて、「北大にいきます」といったらびっくりしていました。なぜ北大かというと、じゅう道部の練習を見てすっかりあこがれてしまったからなんです。しかし、現実は厳しい。二浪(入学試験に二回落ちること)の末、やっと合格することができました。


(4)手術に感動 じゅう医に
 前回話したように柔道にあこがれて北大に入ったので、じゅう医学部に進んでからも柔道中心の毎日。四年生の七月まで試合に出ていました。ある日、りょう(みんなで共同生活しているところ)でぶらぶらしていたら先生から「卒業する気はあるの?」と電話があってねえ。クラスの四十人のうち就職が決まっていないのは私だけでした。

 年が明けて三月五日、研究生として残るつもりで大学に行ったら、かべに旭川市旭山動物園の求人票(働く人をさがしているというお知らせ)がはってありました。先生から「きみ、動物園どうだ」といわれ「はい、いきます」と二つ返事で答えました。動物園のじゅう医師(動物のお医者さん)は人気があったんだよ。すでにほかの就職が決まっていた友だちからは「かわってくれよ」とたのまれましたが、もちろん断りました。

 なぜ、この仕事を選んだかというと、経験したことのない世界だったからです。動物ってなかなかいうことを聞いてくれない。それをその気にさせるのがおもしろい。大学では牛や馬などの家ちくをあつかってきたけど例えばサルなんて初めて。サルの相手をするのは難しくて注射ひとつするのにも大変なんだよ。

 もともとじゅう医学部に進んだのはあるとき競走馬の手術をしている教授の姿を見て、「かっこいいなあ」と感激したことがきっかけでした。命をあつかう仕事はとてもみ力的なものだと分かったからです。

 旭山動物園ではこれまで動物の見せ方を工夫したし設をつくってきました。水中トンネルがある「ぺんぎん館」では頭の上をものすごいスピードで泳ぐペンギンを見ることができます。ほかにも二つに分かれた飼育舎を鉄棒でつないでオランウータンの空中散歩を見せたり、ホッキョクグマを足元から観察できるようにしたりしています。動物の本来の姿を見ることができるようにという考えなんです。

 最近、動物園にくる子どもたちを見ていて気がつくことは、ひとつの動物をじっくりと見ている子どもが少なくなったということです。次々と飼育舎を移っていくんだよね。ああ、もうちょっといたらおもしろいことが見られたのに、と思うことが多いですね。みんなが熱中しているコンピューターゲームはだれかからあたえられたものだよね。動物園では本当におもしろいと思うことを自分でさがしてほしいんだ。

 聞き手・編集委員 高橋純二


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