みんなはフェリーに乗ったことがあるかな。フェリーといっても総トン数は約一万四千、全長は約二百メートルもあるから、実際に見たらきっとその大きさにおどろくと思うよ。
私はいま室蘭市と茨城県の大洗町を結ぶフェリー航路の二せきの船長をしています。船の名前は「ばるな」と「へすていあ」。それぞれインド神話とギリシャ神話からとった神の名です。船にはトラック百八十台、乗用車百台、それに六百人から七百人を乗せることができるんだよ。
一度船に乗ると三週間続けて勤務します。そのあと陸に上がって十日間ぐらい休み、そしてまた船にもどるという生活です。以前、外国をまわる船に乗っていたときは三カ月は日本にもどれなかったから、いまはまだいいほうだね。考えてみると、これまでの人生は海の上の生活のほうが陸にいるときよりずっと長いんだ。ふしぎな気がするよ。
実は子どものころは船乗りになろうなんてぜんぜん考えていなかった。生まれ育ったのは東北地方の中心都市・仙台。父親はくつ屋さんでした。まだ開発が始まる前で自宅のまわりは山や田んぼだらけ。川ではよく泳いだけど、海水浴なんて行ったことがない。だから海とか船とかに対する興味もわかなかったんだろうなあ。
それが中学三年のとき、自分の人生を決めるあるできごとがありました。そのころ仙台からの修学旅行の行き先は東京、横浜です。横浜港を見学したとき、港に氷川丸というヨーロッパやアメリカを往復していた有名な客船がつながれていました。「ああ、この乗組員になったら外国にただで行けるんだなあ」と、そんなばくぜんとした考えが頭にうかんできました。
卒業が近づき、進路を決めるときになって先生に「船の仕事を見つけて外国へ行ってみたい」と話したら、「こんなところからぼ集が来ているぞ」と、岩手県宮古市にある海員学校をしょうかいしてくれました。そこは生徒がいっしょに生活をする全りょう制でした。
中学を卒業して一年間、船よいとホームシックになやまされながらもがんばって勉強しました。そして、そこでの生活が船乗り人生の出発点になりました。 |