私が住んでいる仁宇布という場所は、上川管内美深町のまちから二十一キロ東に入ったところにあります。家は三十軒ほど、住んでいる人は七十人です。美深から来る途中、二十キロ近くは山の中にただ道があるだけで、だれも住んでいません。
この小さな集落が、二十年ほど前、全国的に有名になりました。いまのJRがまだ国鉄だったころ、美深から仁宇布まで、道路の近くを通っていた鉄道・美幸線が、乗る人が少ないため、なくなろうとしていた時期です。住んでいる私たちと町役場は「鉄道を残してくれ」と、国に何度もおねがいしたり、東京の銀座できっぷを売ったりしたことが、新聞やテレビに大きくとりあげられたのです。
残念ながら、美幸線は一九八五年になくなってしまいました。仁宇布に住んでいる人にとって、鉄道で全国どこへでも行けた時代は心強かった。いま、美幸線の終点だった仁宇布駅から片道五キロの元の国鉄の線路を使って、小型エンジン付きのトロッコを地域の人といっしょに走らせています。
線路に沿って川や滝があり、小さいけれど鉄橋もある。静かな森にかこまれた緑のトンネルをゴトゴト走るのは、気持ちがいいですよ。今年で五年目になり、昨年は八千人近い「乗客」があったんですよ。
私が仁宇布で生まれたのは、美幸線が開通する六四年(昭和三十九年)よりずっと前の二八年(昭和三年)です。仁宇布は、天塩川にそって開けた美深と、オホーツクをむすぶ道の「駅逓所」があったんです。駅逓所というのは、荷物をはこぶ馬車や行き来する人に宿や食事を出すのが役目でした。
鉄道や自動車がなかったころ、ものや郵便をはこぶための大切な役所で、今でいうとホテルと食堂と郵便局、それに馬小屋をいっしょにしたようなところでした。私の父はその駅逓所の所長をしていたんです。
所長といってもそのころは半分農家のようなものです。駅逓所の建物のそばに畑があり、両親は手があいたとき、私たち七人きょうだいは放課後、農作業にあせを流しました。 |