囲碁五段、「ヒカルの碁」かん修

梅沢由香里さん
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 (1)私の道決めた父のさそい

 (2)しかられ「くやしさ」知る

 (3)父の死乗りこえプロ合格

 (4)「強くなる」って思おう
◆梅沢さん略歴◆

 うめざわ・ゆかり 1973年、東京都立川市生まれ。14歳で加藤正夫九段に入門、慶応大学の学生だった95年、プロ試験に合格。98年二段、99年三段、2000年四段。テレビやラジオに数多く出演して、碁を広めるために活躍中。東京都在住。


(1)私の道決めた父のさそい
 テレビで「ヒカルの碁」(TVH)を見てくれていますか。そして碁をおぼえましたか。

 「ヒカルの碁」では、雑誌「少年ジャンプ」に登場した一九九九年から、まんがの中に出てくる碁石のならび方が正しいのか調べるお手伝いをしていました。でもヒカル君や藤原佐為さんの活躍にむちゅうになって、仕事をわすれてしまうこともあったほどです。みんなが読んで囲碁に興味を持ってくれたなら、うれしいですね。

 子供のころの話をする前に、いまのことを少しだけ聞いてください。じつは今年、とてもうれしいことが二つあったんですよ。

 一つは五段に上がったこと。囲碁を打つ人を棋士といいますが、プロの棋士の世界では五段以上が、強いグループです。私も九月に仲間入りができました。碁を始めて二十年以上、目標はずーっと「強くなること」でした。まだまだ強い人がたくさんいます。でも、やっと目標に届くところまできたなぁ、というのがいまの気持ちです。

 もう一つは、私を教えてくださった加藤正夫先生が六月に、日本でいちばん歴史の古い「本因坊」という、大きなタイトルをとったんです。私はスーパーで買いものをしていましたが、けい帯電話で「先生が勝ったよ」と聞いて、思わず声をあげちゃいました。

 では、そろそろ子供のころの話を始めましょう。最初に碁石をにぎったのは、六歳。東京都の立川市の南砂小学校の一年生の時でした。みなさんより少し小さいころでしょうか。

 もちろん自分一人で始めたのではありません。碁を知らなかった父がおぼえたかったのでしょう、私に「いっしょにやらないか」とさそったのです。いま思うと、そのひとことが私のあゆむ道を決めたのですね。家の近くにあった碁会所という碁を打つ場所に父とかよい始めました。

 そこはおとなの男の人ばかりで、たばこのけむりがもうもうとしていました。

 そのうち子供の囲碁教室に入りました。二年生の時はアマチュアの初段でしたから、上達は早かったかもしれません。でも特別じゃなかったと思います。子供のときはおもしろいと思ったらほんとうにむちゅうになれるんですよね。


(2)しかられ「くやしさ」知る
 いま、みなさんが碁を始めるときは、線がたてと横、それぞれ九本しかない「九路盤」を使うでしょう。私が囲碁を始めたころはまだなくて、十九本の線がある“本物”の盤で覚えたんです。

 まだ女の子が碁石を持つのがめずらしいころです。家でもルールの本をはなさないぐらい夢中になりました。強くなるのは早かったから、小学校二年のころには、もうお父さんには負けないようになっていました。はっきり言うとね、お父さんより弱かった、という思い出はないんですよ。

 そのころから、お父さんは自分より私の碁に熱心になって、せっせと囲碁教室や試合に連れていくようになりました。

 そのころは、私もピアノや水泳が好きな、活発な女の子でした。友だちといっしょに遊びたくても、試合に出すんです。無理やりでしたね。しかも、負けるとおこるんですよ。私が強くなると、その上のクラスの人と試合をさせるから、勝てなくて当たり前なのに、帰る電車の中でも「なんで負けたんだ!」ってね。

 ある大会で、強い女の子が自分を「弱いんです」といって、まだそんなに強くなかった私と同じ力の組に入ったんです。対戦しましたが、私の負け。碁を打てば、その人がどれぐらい強いか分かります。その子、ずるいですよね。でも、その時も父にしかられたなぁ。

 「私より弱いお父さんに、なんでしかられなければならないの」って思いました。よく考えると、変ですよね。

 でも、いま思うとその時厳しく教えられていなければ、きっとと中でやめていたでしょう。私はなまけ者でしたから。しかられ、くやしい思いをしたから、「強くなる」という目標ができたのでしょう。

 中学に入っても、いろいろな大会で優勝しましたが、そのころは、囲碁にプロの世界があるなんて知りませんでした。だからプロになるなんて思ってもみなかったんです。

 そんなある日、家から少しはなれた囲碁教室で、私の碁をじっと見つめる人がいました。私の先生になる加藤正夫九段でした。


(3)父の死乗りこえプロ合格
 中学二年で、加藤正夫先生に弟子入りして、プロを目指す人が入る日本棋院の院生になりました。先生はやさしくて、もの静かな方です。弟子入りすると、ふつうは碁を打ってもらえないのに、先生はよく「打ってみようか」って、相手をしてくれたんです。

【つめ碁に挑戦】黒先白死
 プロを目指すにはおそいスタートです。まわりは強い人ばかりでしたが、高校を卒業するまでは、碁がいちばん楽しく、ぐんぐん強くなった時でした。

 ところが、大学に入ると、碁の成績がガクッと落ちたんです。碁のほかにもいろいろな世界があることがわかったのでしょう。もうすぐプロだと思っていたのに、いままで勝っていた相手に負けて、もうぼろぼろ。しかも、あと一勝という大事な試合にも勝てなくて、大学二年の時、年れいの制限で院生をやめてしまいました。

 大学は楽しかったけれど、このまま碁をあきらめていいのか、ずいぶんなやみましたよ。みなさんも将来、そんなことがあるかもしれません。でも「やっぱり碁ほど熱中できるものはない、私にはこれしかない」と、思い直しました。加藤先生のすすめもあって、女性の棋士になる試験に合格し、大学卒業の時、あこがれの世界に入ったのです。天国にのぼる気持ちでしたよ。

【答え】(1)黒1と打つ(2)白が2と取ってきたら(3)黒3で白は1眼しかない
  ただ一つ、心残りがあります。私を教え、プロになったことをいちばん喜んでくれるお父さんが、大学三年の時に亡くなったんです。いまでも私の成長を見守ってくれていると思っています。

 今年の九月に五段になり、強い人のグループに入りました。これから強い棋士と戦わなければなりません。もっと勉強しなくちゃ。でも、つらいとか苦しいとか、言いたくありません。自分でえらんだ道ですからね。

 私にはもう一つ仕事があると思っています。それは、みなさんや、碁を知らない人にこのゲームの楽しさを伝えること。次週は碁のみ力についてお話ししますが、その前にうでだめし。私がつくったつめ碁を解いてみてください。少しルールをおぼえた人ならわかりますよ。


(4)「強くなる」って思おう
 漫画の「ヒカルの碁」を見たり、読んだりして囲碁をおぼえた人も多いでしょう。主人公のヒカル君や、ライバルのアキラ君のひたむきな気持ちに、私も心を打たれます。

【つめ碁に挑戦】黒先白死
 碁の面白さは「楽しいよ」と口で言うだけでは伝わらないと思います。ですから、私は子供の大会やいろいろな行事に参加して、みなさんと直接、会うようにしています。今年の八月には、旭川で一度に十五人の子供を相手に碁を打ちました。強い子もいましたよ。打ち終わって指導しようかと思ったら、もう碁盤と碁石をかたづけ始めちゃって、ゆっくり教えることができませんでしたが…。

 北海道出身のプロには依田紀基名人(岩見沢や小林光一碁聖(旭川)をはじめ、強い先生がたくさんいます。みなさんの中からも一流のプロが生まれるかもしれませんね。中には碁を覚える前から「プロになりたい」と言ってくる子もいてびっくりしましたけれど。

 よく聞かれるのは「碁の面白さってなに?」「どうすれば強くなれるの」。私が小学二年で夢中になったのは、碁が自分で考え、つくりあげていくゲームだったからです。作戦を練って、次の手を読む楽しさは、物語をつくるのと似ていますね。

【答え=図右=】黒1で白は1眼のみ。【失敗=図左=】黒1と打つと白2で生きられてしまう。目先の利益にとらわれないようにしましょう
  碁は勝ち負けがはっきりしている真剣勝負です。強くなるには、勝ちたい、強くなりたいという気持ちを大事にして、真剣に打つことがいちばんです。大会に出る時は「ここまでは勝ちぬくぞ」って目標をたててがんばれば、力がつくと思います。

 それと、簡単なつめ碁をたくさん解くこと。最初は分からなくてもかまいません。すぐ答えを見てもいいんです。ヒカル君のように早く上達することはないでしょうが、何回も解いているうちにきっと強くなりますよ。今回もつめ碁を一題出しておきましょう。

 「強くなる」。私もこの目標がかなうようにがんばります。みなさんも私の子供の時のように、碁に興味を持ち、その勝負の中に喜びと厳しさを感じられるようになってください。そんな子供が増えればいいなぁと願っています。

 聞き手・編集委員 斉藤紳一


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