お笑いコンビ「極楽とんぼ」

加藤浩次さん
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 (1)運送会社をやめ東京へ

 (2)放課後はサッカーづけ

 (3)サッカーで道選ばつに

 (4)もっと上の芸人目指す
◆加藤さん略歴◆

 かとう・こうじ 1969年、札幌生まれ。小樽潮陵高校を卒業後、上京して劇団「東京ボードビル・ショー」に入団。88年に吉本興業のオーディションを受けて合格し、山本圭壱とお笑いコンビの「極楽とんぼ」を結成した。現在は「天才! てれびくんワイド」(NHK)、「スーパーサッカーPLUS」(HBC)などにレギュラー出演中。東京在住。


(1)運送会社をやめ東京へ
 みんな、ぼくは「極楽とんぼ」というお笑いコンビをやっているんだよ。仕事は舞台とかラジオとか、いろいろあるけど、一番多いのはテレビの仕事。生放送のある日は昼すぎにテレビ局に入って、打ち合わせやリハーサルをしてから本番。終わったあとに新聞や雑誌のインタビューを受けることもある。

 ぼくは高校を出てから札幌の運送会社で働いていたんだけど、十九さいのときに会社をやめて東京に出て、劇団に入った。それまでは、おしばいの経験なんて、ぜんぜんなかった。入団試験を受けたときに出会ったのが、今、コンビを組んでいるあいぼうの山本圭壱。ぐうぜん、同じ劇団を受けていたんだ。

 そのとき山本は今みたいに太っていなくて、まだやせていた。最初の印象は、実を言うと、「うさんくさい」って思った。

 でも、十人くらい受かった中で年が近い三人が仲良くなってね。しばいよりお笑いがやりたくなって、三人で吉本興業の新人発掘オーディションを受けた。結局、一人はそのまま劇団に残ることになって、ぼくと山本のコンビになったんだ。

 ぼくが生まれたのは札幌市厚別区の大谷地。小学校一年生まで、そこで暮らした。そのころの大谷地は、今とはぜんぜんちがって、まだ、すごいいなかだった。家の近くに川があって、ドジョウとったり、クワガタをとりに行ったりして遊んだな。ぼくには三つ上のアニキがいるんだけど、アニキやその友だちについていって、よく野山で遊んでいた。

 そう言えば、ぼくは小さいころに交通事故にあったことがあるんだ。幼ち園のとき、アニキをバス停まで送りに行って。止まっているバスの前を横断しようとしたら、後ろからバスを追いこしてきた車にひっかけられた。運が良くて、骨がおれたりしなかったけど、本当にびっくりした。その車を運転していたのが、なんと、アニキの担任の先生でね。あとでアニキの成績がすこし上がったらしいって聞いたな。


(2)放課後はサッカーづけ
 ぼくは小学二年生のとき、札幌から小樽に引っこしたんだ。学校は入船小。三年のときにサッカーを始めた。そのころはまだ、野球が一番盛んでね。サッカーはマイナーだったんだよ。

 三年生の新人戦にすぐフォワードで試合に出て、ゴールも決めた。小学校のころは、サッカー少年だった。学校が終われば、すぐサッカー。毎日練習した。五、六年のときには全道大会にも進出したよ。小樽地区は、あんまり強くなかったから。

 小樽は近くに海があったけど、小学生のときは行ったことがないんだ。サッカー部のかんとくの先生に「海で泳いだら筋肉がゆるむ」って言われて、そうなんだと本気で信じてた。だから、実は、今でもあまり泳げないんだ。

 冬のあそびはスキー。シーズン券を買って天狗山に通った。学校から帰ると毎日、おにぎりを二個持ってすべりに行くんだ。海はダメだと言った先生も「スキーは脚力がつくからいい」って。

 その先生はおじいちゃんで、自分はサッカーをしたことがないのに、ふしぎと強いチームをつくる人だった。自分はぜんぜんキックができなくて、ボールをけるのはぜんぶ、つまさきでけるトーキック。厳しい人で、練習中は水を飲んじゃダメとか、すごいスパルタだったけど、ぼくはきらいじゃなかった。

 中学は松ケ枝中。やっぱりサッカー部に入った。小学校時代には小樽選ばつにも入っていたし、一年から試合に出してもらった。そのころは静岡県の名門、清水東高校から筑波大学に進んだ長谷川健太選手(現在はサッカー解説者?)たちにあこがれていて、同じ大学に入っていっしょにサッカーをしたいと思っていた。

 一年生の冬には、北海道選ばつの合宿メンバーに選ばれた。ちょうど合宿に行く前の日。小樽選ばつのかんとくの先生に「行く前に一回くらい練習しておいたほうがいいぞ」と言われて、体育館で練習していたらビリッと音がした。服がやぶけたみたいな音だったけど、足が完全におかしくなっていて、力が入らない。あ、これはダメだと思ったら、右ひざのじんたいが切れていた。すぐ入院することになって、合宿には行けなかった。


(3)サッカーで道選ばつに
 けがをしたとき、最初は、これからどうなるんだろうって思った。普通に歩けるようになるのかなって。お医者さんにも、サッカーは無理かもねって言われた。手術してワイヤを入れたから、中学一年の三学期はまるまる学校に出ていない。今でも、右ひざの下には十センチくらいの手術の傷あとがあるよ。

 入院した病院は大部屋で、いっしょの部屋のおじさんたちがすごくかわいがってくれた。おじさんたちがこっそり病室でたばこを吸うときに、ぼくが外で見張りをしたり。いっしょに車いすのまま外出して買い物にも行った。おかげで車いすはすごくうまくなった。

 幸い、退院して、またサッカーができるようになった。走ったりけったりするのは平気だけど、足をまげて正座して座るのは、ちょっとしんどいんだ。だから、正座をしないでいいのはラッキーだった。授業中にいたずらして、みんなで正座させられるときに「おまえは立っていていい」って。

 そのころは、いろいろやんちゃなこともやったな。海に行って、いっぱいウニをとってきたり。サッカーをしていないときは、友だちの家に行ってだべっていた。音楽のことや、好きな女の子の話とか。同じクラスだった女の子に呼び出されて「つきあって」と言われたこともあった。おしが強くて、さからえずに「いいよ」って。その子とは三カ月くらい続いたかな。

 サッカーは中二の時に北海道選ばつに入った。六十人くらい合宿に呼ばれて、その中から選ばれて全国大会にも出場した。一年の時にはノミネートされたのに直前にけがをしてしまったから、このときは本当にうれしかった。

 ぼくは勉強は好きではなかったけど、筑波大学でサッカーをしたいと思っていたから、進学校だった小樽潮陵高校を受験することにした。別に、はっちゃきになって受験勉強をしたわけじゃない。塾に行って言われることをやってたら、ビリで入ることができた。塾の先生が変わった先生で、「漢字のテストで百点とったら千円やるぞ」とか、教え方がうまかった。

 ビリというのは本当。入学試験の後、自分で採点したら、落ちていたんだ。もしかしたら、ぼくが北海道選ばつに入っていたので、サッカー部の顧問の先生が引き上げてくれたのかもしれないな。


(4)もっと上の芸人目指す
 高校に上がる直前に、また大きなけがをした。春休みに高校のサッカー部の練習に参加して。前のときと同じような感じで、無理な体勢からシュートを打とうとしたときにけがをしてしまった。冬の体育館での練習って、気をつけないといけないよ。どうしても足に負担がかかる。今度は、入学式から三週間くらい、学校に行けなかった。松葉づえで、一人だけおくれて入学した。

 ぼくは筑波大に進みたくて小樽潮陵高に入ったんだけれど、入ってから筑波大の進学レベルを見ておどろいた。なんじゃ、こりゃ! バカみたいにレベルが高いじゃないか。がくぜんとして、「あ、これは無理」と自分の中でさじを投げた。

 それからは目標がなくなってしまって、楽しきゃいいやと遊んで歩いた。大学受験の勉強なんて、いっさいやってない。授業もさっぱり分からなくなった。テストのときは、ねられるからうれしかった。

 そのころは、将来、何をしたいか、まったく分からなかった。仲間うちではカラオケ大会の司会とか、文化祭の司会もやったけど、芸人になりたかったわけでもない。高校を出て勤めた会社をやめて東京に行ってから、今の道がひらけたんだ。

 みんなに言えることは、何かを思い立ったら、やってみたほうがいい。ぼくも、東京に行くと言い出したときは、「無理に決まっている」とすごく反対された。でも、思い切って来てよかったと思う。自分で「これは好きかもしれないな」と思ったら、それをやってみればいい。

 今、ぼくはテレビのサッカー番組のキャスターもやらせてもらっている。子供のころ、サッカー少年だったぼくが、大好きなサッカーを見られてそれが仕事になるんだから、すごく楽しい。

 番組の取材でヨーロッパの強いチームが戦うチャンピオンズ・リーグの試合も見に行った。初めて本場のふんいきを味わって、びっくりした。サッカーが生活の中に根づいている。いつか、日本もあんなふうになればいいな。コンサドーレもがんばってほしい。

 ぼくの今の夢は、もっともっとすごい芸人になること。まだまだ、目指すものの途中だと思う。だれのマネでもなく、自分だけのキャラクターを持った芸人になりたいし、自分から見ておもしろいと思うことをやっていきたいな。

 聞き手・編集委員 森川潔


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