盲導犬訓練士を目指す研修生

田中尚子さん
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 (1)「偶然」にめぐまれ幸運

 (2)転勤でゴン太とお別れ

 (3)ほめられてついた自信

 (4)早く犬の信らい得たい
◆田中尚子さん略歴◆

 たなか・なおこ 1979年小樽生まれ。東北福祉大を卒業後、昨年4月に財団法人北海道盲導犬協会に採用され、盲導犬訓練士を目指している。札幌在住。同協会のホームページはhttp://www.h-guidedog.org


(1)「偶然」にめぐまれ幸運
 みなさんは盲導犬を知っていますか? 目の不自由な人たちの道案内をしてくれる犬のことで、今、道内では七十匹が活躍しています。私は昨年春から札幌にある北海道盲導犬協会の職員となり、盲導犬を育てる訓練士を目指して研修を続けています。

 盲導犬には、いろいろな仕事があるんですよ。まず、まっすぐに歩くこと。簡単なようだけど、これが犬にとっては難しいんです。それから、交差点で止まること。障害物をよけること。目的となるものを見つけて、そこまで主人を連れて行くこと。もし主人の命令がまちがっていて、赤信号なのに道をわたろうとしたときなどは、命令にそむいて主人の安全を守ります。とてもかしこい犬たちです。

 でも、犬が何もかもやってくれるわけではありません。実際には「ユーザー」と呼ばれる主人がきちんと指示を出し、それに従って盲導犬が仕事をします。ユーザーさんと犬との共同作業という感じですね。私も以前は、盲導犬は頭のいいスーパードッグみたいに思っていましたが、訓練にかかわってみて、それはちがうなと気がつきました。

 私は小さいころから動物が好きで、盲導犬についても本やテレビで見て知っていましたが、訓練士になろうと思っていたわけではありません。大学では福祉のことを学びたいと思い、函館の高校から仙台の東北福祉大に進んで、障害を持つ人と接するボランティアもしました。就職するときに、自分が本当にやりたい仕事は何だろうと考えて、ずっと気になっていた盲導犬のことを思い出しました。

 実は、ある病院の就職試験を受けに札幌に来たんです。そのとき、たまたま、北海道盲導犬協会が訓練士を募集していることを知りました。こんなチャンスはない。ちょうどその日が申し込みの最終日でした。リポートを書いて出さないといけなかったので、病院の試験の会場で書きました。まわりの人からは変な目で見られましたが、時間がないので、地下鉄の中でも書き続けて、なんとか間に合わせることができました。

 いろいろな偶然にもめぐまれて、今、こうして盲導犬を育てる仕事ができる。自分は幸運だなと思います。


(2)転勤でゴン太とお別れ
 私が生まれたのは小樽。父は国鉄(今のJR)の運転手で、小学校二年まで小樽で過ごしました。家は桜町にあった長屋みたいな社宅で、広い庭があり、野菜を作っていました。冬になると、二つ下の妹と庭にかまくらを作ったりして遊びました。

 そのころの私は、おとなしい子でした。朝、幼ち園や学校に行くのがイヤで、よく、ぐずって泣いていました。家を出ると、すぐ「今、何時なの?」と帰ってくるんです。どうにかして家の中に入ろうとしたんですね。行ってしまえばケロっとして友だちと遊ぶのに、行くまでが、なぜかイヤだったんです。

 小樽ではスピッツを飼っていました。オスで、名前はゴン太。愛想のいい犬で、近所の子供たちにも好かれて、エサをもらっていました。

 ところが、国鉄がJRになって父が函館に転勤になりました。函館の社宅はアパートで、犬は飼えません。悲しくて泣いた覚えがあります。ゴン太は後志管内仁木町の親せきに預けることになり、そのまま、親せきの家の犬になりました。

 少し盲導犬の話をしますと、どんな犬でも盲導犬になれるわけではありません。北海道盲導犬協会で育てているのはレトリバーという種類で、人間に対して友好的な性格の犬です。

 生まれて一カ月半くらいの子犬を「パピーウォーカー」と呼ばれるボランティアの人たちの家に預け、約一年間育ててもらいます。そのあとで適性検査を行って盲導犬に向いているかどうかを調べ、半分くらいが合格して七カ月間の訓練に入ります。

 検査では、犬の性格を見ます。警かい心が強すぎてすぐほえる犬は盲導犬には向きません。歩いているとき、ほかの犬に興味を持ちすぎる犬もだめです。

 向いていないと判断された犬は、パピーウォーカーや飼いたいと希望する家庭に引き取られています。

 函館に引っこしてから、夏休みにゴン太に会いに行ったら、覚えていたのか、喜んでくれました。親せきの家でも、やっぱり近所の子供たちに好かれ、パンをもらったりしていました。盲導犬になれなかった犬たちも、飼ってもらう家でかわいがってもらえればいいなと願っています。


(3)ほめられてついた自信
 函館の社宅は人見町にあって、金堀小に入りました。私は引っこみ思案で、三年生くらいまでは、勉強もあまりできるほうではありませんでした。

 ただ、漢字ドリルだけは親に家でやらされていました。あるとき、新しい先生になって漢字のテストがあり、運良く、いっぱいできたんです。先生に「頭がいいね」とほめられて、自分に少し自信がついた。それから少しずつ、いろんなことを自分から進んでできるようになりました。

 盲導犬の訓練をするときも、まず、ほめることです。いけないことをしたときは、しかることも必要ですが、ほめることで何をしたらいいのかを教え、わからせることが大切です。

 犬は、かしこいので、この人はこのくらいでいいだろうと人を見て判断します。しかるときは厳しく、強さやタイミングを考えなければいけません。盲導犬は、目の不自由な人の安全を守らなくてはいけませんし、命にかかわる仕事です。訓練の中では、あまえは許されません。

 自信がつき始めてからの私は、合唱部でコンクールに出たり、学芸会でこの役をやりたいと希望してがんばったりしました。たしか、「王さまの耳はロバの耳」の劇で、大臣の役でした。今思うと、よくあんなことができたなと、少しはずかしいですね。

 放送局にもあこがれて立候補しました。放送局は人気があって、投票で局員を決めていたんです。じゅくにはほとんど行かず、放課後は児童館で一輪車や竹馬をしたり、カンけりをして遊びました。成績は段々良くなったけれど、算数だけはずっときらいでした。

 中学は的場中で、部活動はバレーボールをしました。函館に引っこしてからは動物を飼っていませんでしたが、私が中一くらいのころにハムスターを飼いました。二年くらい生きました。

 このころになると、家族の間に“犬飼いたい熱”が高まってきました。アパートだけど飼っている人もいるらしいと聞いて、私と父と妹は「飼いたい」と主張しました。母は反対でしたが、オスのシバイヌを買ってきて「銀太」と名づけました。

 ところが、子犬のうちは、犬はよく鳴くんです。困ったことになりました。


(4)早く犬の信らい得たい
 子犬の「銀太」をアパートで飼い始めたところ、よく鳴くので、母が気にして、なやんでしまいました。父も「お母さんが病気になると困るから、犬を店に返してくる」と言います。私と妹は絶対イヤだと反対しましたが、とうとう返すことになりました。

 その日の朝、私は銀太をだきしめて、「お母さんのことを、一生うらむ」と言いました。学校に行って帰ってきたら、あれ、銀太がいる。母が「返しに行ったけれど、やっぱり連れて帰ってきた」と言いました。私がひどいことを言ったので、思い直してくれたようです。そのうちに銀太も鳴かなくなり、そのまま飼うことができました。銀太は母にもかわいがられて、今も実家で元気にしています。

 私は英語が好きだったので高校は英語科があった函館の遺愛女子高に進みました。高校では、おもしろい友だちが多くて、学校に行くのが楽しかった。そのころ、登校きょひの子がいることをテレビで知り、こういう子に会って話をしたいなと思いました。人の世話をして「ありがとう」と言われるのが好きだったので、福祉の仕事に引かれるようになりました。

 今、盲導犬の訓練をしていて、犬が何を考えているか、どう感じているのかを考えるようにしています。自分の動作や言葉が犬にどんなふうに伝わっているのか。自分のちょっとした動きが原因で、犬がまちがえているのかもしれません。難しいけれど、犬の気持ちをつかむことが大切です。

 研修生になって二年目に入りましたが、まだ犬とのコミュニケーションが十分じゃないなと感じています。早ければ三年で訓練士になることができますが、この仕事は奥が深くて、勉強することがたくさんあります。

 みなさんにお願いしたいのは、訓練中の盲導犬や目の不自由な人を案内している盲導犬には、声をかけたり、食べ物をあげたりしないでほしいんです。犬もお仕事中でがんばっているので、静かに見守ってあげてください。

 私もがんばって、早く独りで犬を訓練できるようになりたい。将来は、犬からも、そしてユーザーの方からも信らいしてもらえる訓練士になりたいと思っています。

 聞き手・編集委員 森川潔


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