料理研究家

星澤幸子さん
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 (1)下校後も作業着で農作業に

 (2)台所のお手伝いが日課に

 (3)ムギご飯に梅干し一つ

 (4)まず台所に立ってみて
◆星澤幸子さん略歴◆

 ほしざわさちこ 上川管内南富良野町幾寅生まれ。1971年、名寄短期大学栄養科卒業後、札幌市内の料理学校に勤務。76年からテレビなどに出演し、91年から「どさんこワイド212・奥様ここでもう一品」で北海道産素材を使った料理を紹介している。著書は「星澤幸子の大地のレシピ」など多数。講演、料理教室、商品開発などで活躍中。


(1)下校後も作業着で農作業
 テレビの「どさんこワイド212」(STV)で料理のコーナーを担当して満十二年になります。月−金曜の放送の中で、いろいろな料理をつくってきましたが、こんなに長く続いている料理の生番組は世界でも例がなく、いろいろな世界記録をのせる「ギネスブック」で世界一と認められました。

 番組を見てくれるのは料理をつくるお母さんが多いので、みんなも私が考えた献立を食べたことがあるかもしれません。紹介した献立は三千品になります。その中で私がいちばん伝えたいのは、「北海道の食べ物って何てすばらしいんだろう」ということです。

 魚、肉、野菜、米…。どれをとっても日本一おいしいと思います。本州や海外に出かけ、その土地の自まんの食事をいただくことがありますが、決してうらやましいと思ったことはありません。だから私が考える献立は全部、北海道産の材料が主役なんです。

 なぜ私が北海道の食材を使った料理をつくったり、研究したりするようになったのかは、やはり小学生時代の体験にあると思います。

 私は一九五一年、上川管内南富良野町で生まれ、高校卒業まで十八年間暮らしました。両親は農業をしていて、畑でジャガイモ、ニンジン、ムギなどを作っていました。

 太平洋戦争が終わった後、食べ物を手に入れるのがむずかしかった時期がありましたが、わが家は質素ではあっても食べ物に困ったことはありませんでした。「だから農業はいいんだ」と、父がよく言っていたのも、ぜいたくはできなくても農家は食べていける、という自信があったからでしょう。

 私は四人きょうだいのいちばん上で、小さいころから農作業を手伝わされていました。そのころは子供でも大切な働き手だったのです。いそがしくなると、日曜日は休みではなく農作業。授業のある日も家に帰ると、作業着で畑に出て種まき、草取り、うね作りを手伝いました。忙しくて学校に行けなかったこともありましたね。

 次回は、そのころの食べ物の思い出をお話しましょう。おいしかった食べ物や、みんなが「えー、そんなものを食べたの」とおどろくような話ですよ。


(2)台所のお手伝いが日課に
 今まで考え出したたくさんの料理の中で、いちばん自信がある得意メニューは、イモもちです。子どものころ、台所で母や祖母のお手伝いをするのが日課でした。その時、二人に教わったのです。

 ゆでたジャガイモをつぶしておもちの形にする簡単な料理ですが、くるみソースをからめたり、きな粉をまぶしたりして食べると、きゅっとした歯ごたえとイモの甘みが口の中いっぱいに広がるんですよ。

 思い出に残っているのは、イモもちを入れたかす汁ですね。わが家の自まん料理でした。私が住んでいた南富良野町では冬になると、家の近くにも野ウサギが出ました。それを父がつかまえ、肉をいっしょになべの中に入れるんです。体の中からぽかぽか温まって、質素な食事が多かった子どものころはたいへんなごちそうに感じたものです。

 冬のごちそうといえば、カズノコ。当時はまだ北海道でもニシンがたくさんとれ、安くてだれでも手に入れられる魚でした。父が箱ごと買ってきて、身とカズノコを分けて干し、正月になるとまきストーブにかけた大なべにコメのとぎ汁を入れて、身をその中でもどすのです。塩干ししたこがね色のカズノコのパリッとした歯ごたえは忘れられません。ほかにも、身を食べた後のサンマの骨をあぶって食べたり、ストーブの灰の中にニンジンやジャガイモを入れて焼いたりと、思い出は数多いのです。

 小学六年の時、母がお酒のかおりがする酒まんじゅうをたくさんふかしてくれました。とてもおいしかったので、どんどん口に入れたのはいいけれど、とうとう食べすぎて立てなくなってしまい、「ぎょうぎが悪い」と母にしかられてしまいました。料理研究家になるのだから、子どものころから「食いしんぼう」だったのでしょうね。

 母は農作業がない時には、ミートソースや卵たっぷりのカステラなど、そのころとしては豪華(ごうか)な料理も作ってくれました。私が料理に興味を持つようになったのは、そんな母、祖母や父の影響があったからにちがいありません。包丁の使い方、まな板のあつかい方、流しの整とんなど料理の基本は、そのころに身につけたのです。


(3)ムギご飯に梅干し一つ
 「日の丸弁当」って知っていますか。ご飯の真ん中に赤い梅干しが一つ置いてあるだけのお弁当です。太平洋戦争が終わって間もない、まだ食べ物が簡単に手に入らなかった小学校低学年のころ、私もその質素なお弁当を食べていました。私だけでなく、友だちみんなも同じでした。ものがない時代だったので、プラスチック製のおはしも片方が折れて短くなったまま使い、食べるのに苦労したのを覚えています。

 しかもご飯にはムギがまじっていました。家族がたくさんいて、コメの値段も高い時代でしたが、母は育ちざかりの子供にもっと栄養を取らせねば、と考えたのでしょう、家でニワトリを飼い始めたのです。それからはお弁当の中に卵焼きや、トリ肉料理が入るようになり、学校で食べるのが楽しみになりました。

 私が料理研究家になろうと決心したのは中学生の時ですが、そのころから「食べること」の大切さを知らず知らずに身につけていたように思います。

 変なものを食べたこともあるんです。小学校四、五年の時でした。母が「きょうはウナギですよ」と言って、かば焼のような料理を出してくれました。細い身を開き、しょうゆをぬって、こんがり焼いてありました。

 ウナギはその前にも食べたことがあり、少し白っぽいかなあ、家の近くにウナギがいたかなあ−と思うぐらいで、食べてみても骨が気になる程度。家族みんなでおいしく食べました。

 変だな、と思ったのは母が全然はしをつけなかった点でした。何日かすぎて母に「本当にウナギだったの」とたずねると、なんと「あれはね、ヘビだよ」と笑いながら答えました。後にも先にもヘビを食べたのは、その一回だけですが、本当はこうばしくておいしかった−というのが感想です。今はだれも食べようとは思わないでしょうが…。

 まだ食べ物が十分でなかったころに、おいしい野菜や肉をたくさん食べ、農作業の手伝いなどで体を使い、南富良野の自然の中でのびのび暮らす。豊かではなかったけれど、幸せで健康的な子供時代だったと思います。


(4)まず台所に立ってみて
 食料自給率という言葉を知っていますか。自分の国で食べる食料を、自分の国でどれだけつくれるか、を示す数字です。日本は全国で40%しかなく、残りの六割は外国からの輸入です。ところが北海道は181%もあり、全国一位なのです。しかも海産物、農産物ともたくさんの材料があります。私は三十年ほど前からテレビの料理番組などでいろいろなこんだてをしょうかいしていますが、材料は北海道産でほとんど間に合うんです。ないものといえばレモンなどのかんきつ類、ショウガぐらいです。

 そんな豊かな土地に住んでいるのですから、みなさんもぜひ料理に挑戦してみてください。まず、台所に立ってみましょう。トントンというほうちょうの音、なべで煮るコトコトという音のリズムを心地よく感じるにちがいありません。

 失敗することもあるでしょう。でもかまわないんです。私もテレビの生放送で、タコ焼きをつくり、お皿に盛りつけしたあと、タコを入れ忘れたのに気づいて、番組で「ごめんなさい」とあやまったこともあるんですよ(笑い)。

 それと、材料の「おいしさ」を覚えること。おやつを食べたい気持ちはわかります。でも、おなかをすかせてほおばるたきたてのご飯、トマトやキュウリをまるかじりした時の味が本当のおいしさだと思います。子供のころ私は学校から帰ると、みそ、塩、納豆などをおかずにご飯を食べました。今もその質素な食事の味が忘れられません。

 料理とは関係ないように感じるでしょうが、音楽を聞いたり、名画、映画を見ることも上手になる秘けつです。料理は味だけでなく、色や盛りつけの方法も大切なんです。その感覚を身につける方法だと信じています。

 テレビを見てくれるお母さん以外にも、中には小中学生から「星澤さんの料理を作ってみました」「材料の分量をメモしています」という手紙をよくもらいます。とても励みになるんです。そんなお便りを見るたびに、食材にめぐまれた北海道で、おいしいものをたくさん食べ、楽しく元気に育ってほしい−と思っています。

 聞き手・編集委員 斉藤紳一


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