未来の特急列車をつくるJR北海道の技術者

佐藤巌さん
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 (1)スポーツカーが大好き

 (2)手を動かし作る経験大切

 (3)車やカメラ、登山に熱中

 (4)夢を持って努力しよう
◆佐藤巌さん略歴◆

 さとう・いわお 1952年札幌生まれ。札幌西高卒。信州大学の大学院を修了後、国鉄に入り、国鉄の民営化後はJR北海道で車両の開発や設計に当たっている。現在は未来の車両を開発するチームのリーダーも務めている。札幌市在住。


(1)スポーツカーが大好き
 みなさんは特急列車に乗ったことがありますか? 私はJR(ジェイアール)北海道で列車を設計したり、新しい技術を開発したりする仕事をしています。速くて、乗りごこちが良くて、かっこいい特急があったらいいなと思って、いろいろな列車をつくってきました。クリスタルエクスプレスやニセコエクスプレス。スーパー北斗や寝台特急の北斗星。みなさんは、どの列車が好きですか?

 札幌と函館の間を走るスーパー北斗などには「ふりこ式」という技術が使われています。カーブでスピードを出しても中のお客さんがたおれないように車体をかたむけて調整する技術で、JR北海道が雪国用に開発・改良しました。スピードスケートの選手はカーブを曲がるときに重心を低くして体をかたむけるよね。それと同じようなことを列車にも応用しているんです。

 雪国の列車は雪や寒さに強くなくてはいけないので、暖かい場所を走る列車に比べて重装備になります。冬でも安全に走れて、しかも、使いやすいデザインが求められる。そういう条件でどんな列車をつくるか、デザイナーや技術者のうでの見せ所です。

 設計に「北海道らしさ」を出すことも考えています。クリスタルエクスプレスはスキーなどで本州のお客さんが多く利用するので、北海道の雄大な自然を楽しんでもらうために窓を大きくするなどの工夫をしました。札幌から釧路へ行くスーパーおおぞらは、車体が青で、ドアだけが赤。これは、釧路湿原で見られるタンチョウの頭の赤色をイメージしています。

 ふりこ式の特急は、列車を前にもつなげて延ばすことができるよう、先頭車両の前側にドアがあります。デザイン的には、前にドアがあると少し格好悪いので、運転席を思い切ってドアの上に高く上げてみました。このときはダイナミックなデザインだねと言われました。

 実は、運転席の窓の形はレーシングカーをイメージして設計したんです。私は、子どものころはスポーツカーが大好きで、将来は車のデザイナーになりたいと思っていました。先日、私の中学時代のノートが出てきて、自分でデザインした車の絵がたくさんかいてありました。そういう子どものころのあこがれが、どこかで今の仕事にも生きているのかもしれませんね。


(2)手を動かし作る経験大切
 私は札幌生まれです。父は国鉄職員で、電気関係の技術者でした。小学校四年生までは西区琴似に住んでいました。家は今のJR琴似駅のそば。そのころは、まだ蒸気機関車が走っていました。発寒川が近かったので、二つちがいの弟とよく川原で遊びましたね。自転車で少し遠くの川にフナつりに行ったこともあったな。

 私は小さいころからプラモデルや模型が好きでした。最初の思い出は、琴似小の二年生だったかなあ。おこづかいを出して、琴似神社のお祭りでミニカーを買ったんです。家でたたみのへりを道路に見立てて遊んでいました。

 そのうちに自分でプラモデルを作るようになりました。自動車やレーシングカー、戦車も作りました。モーターをつけて走るようにしたり、自分で色もぬりました。プラモデルをたくさん置いていた狸小路の模型店などには、しょっちゅう行っていましたよ。そんなに買えるわけじゃないけど、いろいろなプラモデルを見ているだけで楽しくてね。

 夏休みの自由研究で船を作ったこともあります。二つの船体の間にプロペラを取り付けて走るようにしました。動くものが好きだったんでしょうね。自分であれこれと工夫することも好きでした。

 今、私は特急などの列車を設計する仕事をしています。何もないところからイメージをふくらませて図面を引き、やがて、それが形になっていく。でき上がると、お客さんが喜んで乗ってくれる。私にとっては、とても楽しくて、うれしいことです。

 小さいころは、自分の手を動かして何かを作ってみることが大切です。今はコンピューターを使っていろんなことができるけれど、画像を見るだけじゃなく、ハサミやノコギリなどの道具を使って、自分で実際に作ってみること。それによって興味が深まり、仕組みや構造がよく理解できるようになります。

 最近は理科がきらいな子が増えているらしいけれど、理科の実験って、自分でやってみるとおもしろいものです。最初は失敗してもいいから、自分で何かを作ったり、実験をして確かめてみてほしい。うまくいかなかったら、その原因を考え、うまくいくように工夫する。経験の中から知恵が生まれるんです。


(3)車やカメラ、登山に熱中
 私は五年生のときに札幌市東区の苗穂に引っこして、苗穂小に転校しました。中学校は美香保中です。当時から私は車に興味を持っていました。スポーツカーが好きで、前にも話したけれど、将来はカーデザイナーかモータージャーナリストになりたかったんです。

 毎月「カー・グラフィック」という車の雑誌も買っていました。それからずっと買い続けていて、第四十二号から最新の五百十六号まで、全部持っていますよ。

 そのころ、父が新しいカメラを買って、古いカメラを私がもらいました。さっそくカメラを持って町の中を歩き回り、車の写真をとりました。当時の写真は白黒です。フィルムから印画紙に写真を焼き付ける作業も自分でやりました。父が家のおし入れを利用して写真を焼く「暗室」を作ったので、私もそこを使っていました。

 それから、車のメーカーを回って新車のカタログを集めました。子どもだから、なかなか相手にされなくてねえ。ねばって、やっともらいました。こういう子どもが将来のお客さんなのにね。

 私は今でも車が好きで、スポーツカータイプの車に乗っている仲間と同好会を作って会長をしています。年に一度は集まってサーキットコースを走りに行くんです。車が好きな人の中にも、暴走をしたりせず、きちんとルールを守って楽しんでいる人はたくさんいます。車のデザインやメカニズムが好きという人もいます。日本でも、もう少しモータースポーツが理解されるようになればいいなと思います。

 中学時代は車とカメラに熱中していた私ですが、札幌西高では山岳部に入りました。山登りのために自分で天気図を書いたり、地図を見て歩くのがおもしろそうだなと思ったんです。両親は、私があまり体がじょうぶでないからと反対したのですが、なおさら「やってやろう」とファイトがわきました。

 札幌周辺の山は、けっこう登りましたよ。手稲山や百松沢山、朝里岳。週末や連休は必ず山に出かけていました。体力をつけるために、ふだんも授業が終わってから学校の近くの三角山に登るんです。登山が中心の生活をしていたおかげで、あまり勉強をしなくなって、成績は下がってしまいました。


(4)夢を持って努力しよう
 札幌西高の山岳部は、岩を登るロッククライミングと冬山は禁止でしたが、冬でも近くの山には登りました。「山スキー」といって、スキー場のようなゲレンデではない山の中をすべるんです。すっかり山登りが好きになって、大学は山の多い長野県の信州大に進みました。

 大学では山スキー部に入ったのですが、逆に今度は山ではなくてゲレンデをすべるスキーに熱中してしまいました。当時はスキーがブームで、長野県には東京や大阪などから子どもがたくさん来たので、そういう子どもたちにスキーを教えていました。

 冬の山というのは、言葉にできない美しさがあります。みなさんも家の中ばかりで遊ばず、冬でも外で遊ぶ楽しさを知ってほしいな。そして、大きくなったら、ぜひ、自然の美しさにふれてほしい。

 大学を出てから私はJR(ジェイアール)北海道で列車の設計などを手がけ、今は「次世代車両開発プロジェクト」というチームのリーダーもしています。未来の列車を考えたり、新たな技術を開発するためのチームです。ひとつの大きなテーマは今よりも速い特急をつくること。札幌から函館まで、今は約三時間で走っていますが、これを二時間四十分くらいに縮めたい。そのためには、平均時速を今の百六キロから百十八キロに上げなければいけません。車体を軽くしたり、すばやく加速できるように改良していく必要があります。

 もうひとつ、今取り組んでいるのが、線路と道路の両方を走れる新しい形の乗り物をつくることです。「デュアル・モード・ビーグル」と名づけて、今年一月に試験車が完成しました。これができれば、バスと列車の乗りかえをせずに学校や病院に行くことができるようになるかもしれません。これから走行テストなどを重ね、実用的なものに仕上げていくつもりです。

 みなさんも、ぜひ、たくさんの夢を持ってください。こんなことができたらいいなと夢を持ち、それを実現するために努力してほしい。夢を持つことで人間は進歩し、新しい技術も生まれます。

 私の夢は、雪国を最高時速五百キロで走ることができるような新幹線を設計すること。いつの日か、自分で設計した新幹線が北海道を走ったらいいなと思っています。

 聞き手・編集委員 森川潔


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