潜水調査船「しんかい6500」のパイロット

桜井利明さん
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 (1)海へのあこがれ強く

 (2)「夢は船長」みんなに話す

 (3)深海は幻想的な世界

 (4)自分の目で見る感動
◆桜井さん略歴◆

 さくらい・としあき 1960年釧路市生まれ。81年、三崎水産高校機関専攻科(神奈川県)卒業後、海洋科学技術センター入所。しんかい2000、しんかい6500の通算潜航回数370回(4月現在)は日本人最多。深海にすむ生物・シロウリガイの日本初確認(84年)、北海道南西沖地震の海底調査(93年)などにかかわる。海洋研究開発機構から、しんかい6500を運航する日本海洋事業の運航チーム副司令として出向中。


(1)海へのあこがれ強く
 「海」という言葉を聞いて、みんなは何を想像しますか。どこまでも続く青い海原、白い波と船、クジラや魚。人によってさまざまでしょう。私は海面下、数千メートルの深海を思いうかべます。なぜなら私の仕事が深海にもぐる調査船の操縦だからです。

 海の中は三百メートルもぐると、光が届かないまっ暗な世界。でも、ライトをつけるとみんなが見たことがない生き物やふしぎな地形があって、約二十年間で三百七十回潜航した私でも毎回、感動したり、おどろいたりすることばかりです。私と海のかかわりを話しながら、みんなを深海に案内しますが、その前に潜水調査船がどんな船かしょうかいしましょう。

 みんなが知っている潜水艦は五百−六百メートルもぐるのが限度と言われています。「しんかい6500」は深海で地震や海底資源、生物などを調査するために、神奈川県横須賀市にある海洋科学技術センター(今年四月から海洋研究開発機構)が造りました。

 その名の通り海面下六千五百メートルまでもぐることができ、一九八九年、岩手県三陸沖で深海六千五百二十七メートルに到達しました。世界最深の潜水記録はトリエステ号(アメリカ)が六○年にマリアナ海溝で記録した一万千メートルですが、深海を自由に動き回り、地質や生物を調べる潜水調査船としては、しんかい6500の記録が世界一です。

 全長九・五メートル、幅三メートル、重さ二十六トンあり、深海のものすごい水圧にたえる直径二メートルの金属製の球に、パイロット、研究者ら三人が乗り組み、三カ所の窓から海の様子を観察し、手のような機械(マニピュレーター)で、いろいろな機器を海底に置いたり、岩石や生物を採取したりできます。水深一万メートルをこえる深海もありますが、六千五百メートルまでもぐれることで、世界中の海のうち、98%の海底を調べることが可能になりました。

 深海に行くのは宇宙飛行よりむずかしい、という人もいます。日本の先端技術を集めた潜水調査船を操縦できるのですから責任の重さとともに、海にあこがれていた少年時代の夢がかなったという喜びを感じています。

 私が海をめざしたきっかけはやはり、生まれ故郷の釧路市にあったと思います。


(2)「夢は船長」みんなに話す
 生まれ故郷の釧路市に住んでいたのは四歳までです。もう四十年近く前ですね。そのころ釧路は雪が深く、百メートルしかはなれていない祖父の家に行くときでさえ、遭難しそうになった記憶があります。

 実はそのころ、「海はこわい」と思っていたのです。父は漁船に乗っていました。くわしい理由は聞いていませんが、私が生まれた後、漁師をやめ、横浜市に引っこしました。昔は漁船に乗って海に出るのは危険で、父もきっとおそろしい体験を何度もしたのでしょう。その思いが幼かった私に自然と伝わったのだと考えています。

 「こわい海」が、あこがれに変わったのは小学生になってから。外国航路の船員だったおじさんが、横浜に寄港するたびに家に来て航海や、当時は簡単に行けなかった外国の話を聞かせてくれたのがきっかけです。

 航海の様子を歌った昔の歌の歌詞に「晴れた空、そよぐ風…」というのがあります。真っ青な海の上を、大きな船がすいすい進んでいく。そんな光景が頭からはなれなくなりました。今、小学校時代の友だちに会い、潜水調査船のパイロットだと話すと「船に乗る夢がかなったね」と言われます。私は覚えていませんが、小学生時代から「船長になるんだ」とみんなに話していたのですね。

 中学から水産高校(神奈川県の三崎水産高)に進学する時、父は大反対でした。将来、漁師か船員になる−と考えたのです。父自身が「こわい海」からはなれたのだから当然でしょう。入学したのはエンジンの整備、修理を担当する機関科でした。船長になるには航海科とか漁業科を選ぶのですが、機関科だと必ず船に乗るわけではありません。父の言い分を半分聞いたことになりました。

 技術者の資格をとるために高校に五年間在学した後、一九八一年に当時建造中だった「しんかい2000」の技術者として海洋科学技術センター(当時、神奈川県横須賀市)に入りました。

 「広くて青い」という私の海の世界が、「深い夢の広がる深海」へと広がりました。


(3)深海は幻想的な世界
 一九八一年、海洋科学技術センター(当時)に入った翌年から潜水調査船のパイロットとして操縦かんをにぎり始めました。今回はみんなを深海の世界に案内しましょう。

 潜水する日は午前七時に「しんかい6500」の点検が始まり、パイロット、研究者ら三人が乗った後、ハッチを閉めます。潜水船を積む母船「よこすか」のクレーンで海面に降ろされ、つり上げケーブルを外します。

 九時、いよいよ片道二時間半、毎分約四十メートルの降下が始まります。まず水深五十メートルになると物の色が消え始めます。

 百メートル。窓から見える船体や機械が輪かくだけになり、外は濃い青に変わります。白黒写真を青くしたような世界を考えてください。

 三百メートルをこえると真っ暗。自分で光を出す微生物やクラゲなどが見えるぐらいです。この生物は光が弱く、ふつうのカメラでは撮影できません。実際にもぐった人だけが見られる幻想的な光景です。

 海底まであと三十メートルになると、潜水のための重りを半分捨てて止まります。ライトをつけ、船体両側のプロペラを回しながら、しんちょうに海底まで降下します。岩がごつごつしていないか、水平に着底できるか、一番きんちょうする時間です。

 海底では三、四時間、研究者の指示で操縦し、船外の手のような機械で岩や生物を集めます。これがパイロットのうでの見せ所なのです。調査が終わると、残りの重りを捨てて浮上です。海面に帰ると、午後五時をすぎています。

 私は日本初の発見に何度も立ち会えました。八四年、「しんかい2000」で神奈川県に近い水深千百メートルの深海にもぐりました。海底が近づくと、いつもと様子がちがうのです。ふつうは灰色か茶色なのに、ずいぶん白っぽく感じました。

 「へんだな」と思いながら降りると、長さ十五センチほどの白い貝がライトが届く範囲の海底をびっしりうめていたのです。その時は知りませんでしたが、深海にすむシロウリガイを日本で初めて確認した瞬間です。

 深海までもぐれるようになったといっても、そこは未知の世界が広がっています。発見と冒険はまだまだ続きます。


(4)自分の目で見る感動
 「きょうはどんな発見があるのかな」。深海にもぐる時は毎回、楽しみにして操縦しています。

 でも一九九三年八月、奥尻島沖の潜航はちがいました。その年の七月、大きな被害があった北海道南西沖地震の直後で、津波を起こした海底の断層調査のため「しんかい2000」で六回もぐりました。

 余震が続き、潜水中に地震があったらどうなるのかわかりません。ゆれがあったら、海上の船からすぐ連絡をもらうようにして、千三百−千六百メートルの海底を調べると、約三○度の急な斜面に積もった泥が、えぐり取られたようにくずれていました。私は今までに三百七十回、潜水しましたが、あの時ほど無残な海底を見たことはなく、地震の激しさを実感しました。

 二○○○年、私は「しんかい6500」の運航チームに入り、活躍の場が世界に広がりました。印象に残るのは、アフリカに近いインド洋の深海で見た「ブラックスモーカー」ですね。

 数百度もある熱水がふき出す海底のことで、熱水の中の金属などが海水で冷やされ、真っ黒いけむりを出すえんとつのように見えるのです。私は日本の近くで国内初のブラックスモーカーを発見した時も同乗していましたが、インド洋で見たのは「けむり」のいきおい、黒さ、噴出の規模とも数段上です。自然のふしぎに、ただ見とれるだけでした。

 「海に出たい」「船に乗りたい」という少年時代からの夢がかない、約二十年間、潜水調査船に乗り続けて思うのは、海の中は今も未知の世界だ−ということです。潜水船で見えるのはライトの光が届く十メートルの範囲だけです。一回の調査で潜水船が走れるのはせいぜい三、四千メートル。まだだれも見ていないおどろきがあるにちがいありません。

 無人の調査船やロボットによる調査は可能です。しかし、自分で体験する感動にはかえられません。昨年、「しんかい6500」に乗った宇宙飛行士・毛利衛さんも「自分の目で見ることが大切ですね」と言ってくれました。みなさんの中からいっしょに深海をめざす人が出ることを楽しみにしています。

 聞き手・編集委員 斉藤紳一

◇海洋研究開発機構は展示中の「しんかい2000」、研究活動などの見学(十人以上)を受け付けています。問い合わせは同機構普及・広報課(神奈川県横須賀市夏島町2の15、(電)046・867・9069)へ。


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