人類の歴史はぼう険や探検の歴史ともいわれています。失敗してもあきらめず、夢にちょう戦する。やりとげるため、厳しい修業を積む。そうした気持ちが必要ではないでしょうか。
ぼくは一九三二年(昭和七年)十月十二日、青森市で生まれました。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのと同じ日です。
小さいころは、親の期待に反して、とてもひ弱だったようです。仙台市に移り、小学校四年のころは入院などで半分しか学校に行けなかった。父敬三も若いころに胸の病気にかかり、母むつもあまりじょうぶな方ではなかったんです。
公務員のおやじの転勤で転校も多く、数えてみると、青森、弘前、仙台など小学校を五回、旧制中学も弘前、東京など四回も替わっているんです。
転校のたびに新しい仲間ができ、友と自然にとけ込んで遊ぶ。そんななか、人力車が来て連れて行かれた先が幼稚園でした。当時、国会議員だった祖父の発案だったらしい。人力車で幼稚園に通う子なんていません。いやでいやで逃げ回った。迎えが来る前に、海などへ出かけてしまうんです。
そのうち、家族もあきらめ、行かなくなりました。一年も通ったかな。幼稚園というところは今度はこれ、次はあれ、と集中できないうちに終わってしまう。こうして幼稚園を中退。その後、岩手で中学を受験しました。身体検査で病気のことを聞かれ、いやな予感が的中して落ちてしまいました。翌年には入りましたが、幼稚園の中退、中学受験失敗と、いわば落ちこぼれだったんです。
考えてみると、ぼくの人生はざ折のくり返し。スキーのオリンピック選手、南極隊員、アメリカ留学、大学教授。そうした夢が、つかみかけてはシャボン玉のように消えていったんです。でも、失敗しても何か、世界が自分を待っているという感じ。落ちこぼれでも、きっかけさえつかみ、努力さえすれば、できることがある。世界のいろんな人たちと出会う。こうした気持ちがだんだん強くなっていったんです。 |