私が展覧会に出す作品を書く時には、直径二十センチの太い筆を使うことがあります。バケツに入れた墨をたっぷりつけると重さは十キロほど。畳より大きい紙に「遊」「風」「竹」などの漢字を、体全体を使って一気に書き上げます。みなさんが学校で習うきちっとした字ではありません。太くて見慣れない絵のようにも見える書です。
私が書道を習い始めたのは一九四八年、札幌市中央区の東小学校(現在の中央小)に入ってからです。もちろんそのころは、ふつうの字を書いていましたよ。
実は入学前から漢字とつながりが深かったのです。父は札幌市中央区南一東三で薬の販売をしていました。正式な書道の指導を受けたことはありませんでしたが、毛筆が得意で母の手紙もさらさらと代筆するほどのうで前でした。
特に思い出に残っているのは、父が店先に張り出す紙に薬の名前を筆で黒々と書いていた場面です。当時はまだ印刷したポスターや看板はなく、宣伝のため薬の名前を紙に大きく書き、店先に張ってポスターの代わりにしていました。
店は漢方薬を多くあつかっていたので「玄妙」「乾坤」というむずかしい薬の名前があって、意味は分からなかったのですが、字の形や筆の動きに心をひかれました。
当時は字を書くのに鉛筆やペンを使うのがふつうになった時期です。でも、父をはじめ毛筆が得意な人はまだたくさんいて、書道は習い事の中でそろばんとともに一番の人気でした。私が小学一年から入った塾もにぎやかで、通っていた日曜日朝の教室だけで五十人ほど、塾全体では二百人以上の子供がいました。
ただ、第二次大戦が終わって間もないころで、食料や物がない時代。私が小学校で最初に書いた字もひらがなの「いも」です。紙は黄色っぽくて質の悪い半紙でした。小学校の建物もすきま風がふき込み、冬は寒くて墨をすると、うすい氷がすずりの表面に張って、じゃりじゃりした墨で字を書いたこともありましたね。
同じころ習い始めたそろばんはすぐにやめてしまいました。でも今まで筆を手放したことはありません。幼いころ父が書いていた字に、何かひかれるものがあったにちがいないと思います。 |