JKC災害救助犬専門委員

山野幸子さん
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 (1)北海道犬に出合い 興味

 (2)存在感薄れる日本犬

 (3)北海道に災害救助犬を

 (4)多様な考え方認め合う
◆山野さん略歴◆

 やまの・さちこ 1947年、島根県出身。道の総務部長だった父の故・幸吉さんら家族と中学時代を札幌ですごした。日本女子大を卒業し研究生活のあと日本国際協力センター(JICE=ジャイス)に入り、二○○一年秋から今年はじめまで北海道支所長を務めた。いまは総務部長。北海道犬保存会会員。ジャパンケネルクラブ(JKC)中央災害救助犬委員会専門委員。


(1)北海道犬に出合い 興味
 犬には人と暮らした一万年もの歴史があるそうです。中学時代、札幌で北海道犬に出合ったことで北海道犬と、いっしょに生きてきた人たちに興味を持つようになりました。犬が自分で歩いてきたのではなく、人と行動する動物だからです。私の人生に大きなえいきょうをあたえた札幌での生活はしゅ味で北海道犬を研究するスタート台だったのです。

 父の転勤で札幌に来たのは中学一年のとき。父は自治省という地方行政を担当するところから道の職員になってきました。家族は札幌市中央区の、いまの知事公館のところで一九六三年まで暮らしました。

 札幌に来て間もなく一ぴきの犬が家族の一員になりました。胆振管内厚真町の伊智狼という北海道犬です。しかし、間もなく死んでしまいました。みな、さびしがっていたところへ今度は札幌・定山渓で生まれた同じ種類の子犬が家族に加わったのです。これにも伊智狼と名付け、みんなでかわいがりました。

 札幌の人口がいまの三分の一の六十万人ほどだった時代。伊智狼は一度だけニワトリをつかまえてきて、家族におこられたことがあります。ペットとして飼うには狩猟本能が強すぎたところもありました。首や足は太めで、首から胸にかけて盛り上がっている北海道犬の特ちょうそのままでした。犬の展覧会では、いつも一位の好成績をおさめました。猟友会の人から猟犬に仕こみたい、とたのまれたこともありました。

 その後、私たちは東京に移り、伊智狼や、その子どもが死ぬまで一緒に暮らしました。ところが、十年ほど前、沖縄の友人が、琉球犬保存の会を新しくつくる時の講演会で、岐阜大学の先生が発表した、おもしろい研究資料を送ってくれたのです。

 琉球犬と北海道犬が、本州をはさんで両はしなのに、遺伝学的につながりが深いというのです。確かに琉球犬は耳が立ち、尾が丸く円をえがき、しっかりした足で立つ北海道犬そっくり。私はますます興味をかきたてられました。


(2)存在感薄れる日本犬
 違う種類をかけ合わせ、きれいで、飼いやすい犬にする技術が進んでいます。ロングヘアダックスフントなどの西洋犬は改良して、いまのようになりました。これに対し、秋田犬や柴犬など、日本犬もきちんと保存していこうという動きが一九三○年代に出はじめました。北海道犬は三七年に、国の天然記念物に指定されています。

 日本犬は、縄文人とともにアジアからわたって来た縄文犬が始まりです。このうち北海道に来たのが北海道犬の祖先です。アイヌ民族の人たちと暮らし、狩りでクマから人を守った北海道犬が、実は南から来た犬と、一部サハリン《樺太》方面からの北方犬が交ざり合った系統であることがわかってきました。

 北海道犬は、新聞記者だった故・伝法貫一という人が貴重な資料を残しました。伝法さんは犬の血統や地域社会についてくわしく調べた人です。

 北海道犬は阿寒、日高、千歳、岩見沢などの系統に分けられています。阿寒系や岩見沢系に北方犬の影響が見えます。石狩管内浜益村は日本海に面しているのにオホーツク文化の跡があり、犬も北から一緒に来たのでは、という見方が生まれています。

 札幌の中学時代、犬の展覧会をよく見た私の記憶でも、白い毛におおわれて鋭い感じの千歳系、胴がたっぷりして、いかにも強そうな岩見沢系など、はっきりわかる違いがありました。北海道犬保存会に入って組織強化に努めた父は、北海道犬が、たたかう心と人間への愛を持つ、すばらしい犬だと感心し、地域とともに歩んできた北海道犬を道民がもっと守っていくべきだと話していました。

 遺伝情報で調べるDNA鑑定という方法で、北海道犬がどの種類と近いかがわかります。琉球犬に近い種類と、もう一つは北方犬と交ざり合った種類です。北方の飼い主たちがどんな道をたどって北海道に来たかなどもわかるはずです。

 秋田犬は戦後、アメリカ兵たちが連れ帰ってアメリカやヨーロッパに広がりました。外国で関心の高い、次の日本犬が北海道犬です。道内の愛犬家がこれまで、きちんと育ててきたからです。ジャパンケネルクラブ(JKC)が認めている血統書付きの犬は世界で約三百三十種類。外国原産が増え、日本犬の存在感が薄れてきているのが心配です。

 私は北海道犬を飼った人たちにできるだけ話を聞き、生活した跡などもたくさん見たいと思います。北方の歴史など、興味深い話が、まだまだ見つかるのではないでしょうか。


(3)北海道に災害救助犬を
 みなさんは災害救助犬を知っていますか。阪神大しん災などの現場に行き、がれきの下になった人を探して救出の手助けをする犬です。シェパードや、もう導犬に多いレトリバーが大半ですが、能力があれば、ミックス《雑種》犬もなることができます。

 私はジャパンケネルクラブ(JKC)中央災害救助犬委員会のメンバーとして昨年、スウェーデンにある救助犬の訓練施設を見学しました。この国の災害出動は相手の国の要請で災害援助庁が派遣を決めます。同庁がワーキング・ドッグ協会にたのみ、ただちに協会が動きだす仕組みです。

 がれきの下で七十二時間、三日以上たつと、助かる率、つまり救命率はとても低くなります。実際に災害が起きた場合、すぐ出動する体制が必要なのです。

 私たちは現地の救助犬の技能競技会に合わせてボランティア組織を見て回りました。犬の訓練で国の支援を受けている協会は、この国最大の専門クラブです。全国十八地区に三百のクラブがあり、会員の数は約六万人。年百回、救助チームの訓練が行われるそうです。

 救助犬は、どんなにつらくても探し続ける気持ちが必要です。指導手という、犬に指示を出す人と犬が、離れて行動しなければならないことが多く、犬の自主的な気持ちがとてもたいせつなのです。

 災害救助犬は一九九五年一月十七日の阪神大しん災に八ぴきが出動し、捜索に当たりました。昨年五月のアルジェリア地しんでは国際協力機構(JICA)の国際きん急援助隊が二ひきのシェパードを連れて行きました。

 いま全国の約二百六十ぴきが福島県にある家畜改良センターなど二十四カ所で、約百六十人の指導手と訓練にはげんでいます。

 北海道は、森や湖など自然に恵まれています。それだけ自然の中の事故も多い。山菜採りの行方不明や水の事故、冬のなだれなどの場合に犬を連れていけば、捜索の助けになるはずです。中学時代を札幌で過ごした私の印象では道内こそ、災害救助犬を効果的に生かせるところだと思います。

 日本は海外派遣の実績が浅く、課題もたくさんあります。でも、一般の理解が進めば、救助犬のいろんな活用法がもっと出てくるのではないかと思います。

 それにしても犬はもう導犬など、私たちがあまり気付かないところで人間のためにいろんな力になっているんですね。


(4)多様な考え方認め合う
 私の大好きな犬の話から、最後は仕事の話をします。

 小学生のころ、シュバイツアーや野口英世がアフリカで病気に苦しむ人々を救う研究に身をささげた伝記を読んだことがあります。世界には病院も薬もないために苦しんでいる人たちが、たくさんいます。経済発展から取り残された国を手助けする活動を国連や国際協力機構《JICA(ジャイカ)》が行います。開発が進まない国への技術支えんが経済大国の、わが国に求められる活動の一つなのです。

 JICAの、こうした仕事を分担し、現地で知識を広めたり、研修の支えんをするのが、日本国際協力センターの大切な仕事の一つです。センターには、しょくたくをふくむ千四百人がいて、海外で仕事をする人もいます。

 札幌と帯広にあるセンターの道支所の主な役目は技術研修生や留学生の受け入れなどに関することです。中学時代をすごした札幌に転勤してきて一月までの三年間、海外からの研修生の受け入れなどの仕事をしました。

 帯広など十勝のみりょくとともに、印象深かったのは空知の滝川市です。南アフリカのマラウイ共和国の研修生を農家の人たちが温かくむかえ、交流しました。研修生たちは、その国のリーダーになる優しゅうな人ばかり。地方で成果を挙げる、新たな国際協力の形として全国の注目を集めています。

 日本にはイラクからも、千人以上がJICAや電力会社に研修に来ています。私は、こうした国際協力の仕事に、大学卒業前から強い興味を持っていました。

 これとは別に、私がしゅ味で活動するジャパンケネルクラブ(JKC)という愛犬団体も、スリランカなどで大事な人を守る要人警護や地雷探索の役目を持つ犬の訓練のための技術協力をしています。

 世界には、いろんな人たちがいます。たとえば、アメリカはいろんな人種で一つの国をつくらなければならないため、「人間はみな同じ」という平等の考えに立っています。でも、私の大学のアメリカ史の先生は「アメリカ的な考え、アメリカ人をつくる教育すべてが正しいというわけではない」と教えてくれました。

 国際協力も同じだと思います。世界には、先進国と違い、大家族で暮らし、その中にやすらぎを求め、ゆったりした生活をたいせつにする人たちがいます。人生は開発や、お金もうけだけではない、と考える人たちもいます。その国の方法を尊重することが最初です。先進国の考えだけでは解決できない問題もあるのです。そうした多様な考え方を認め合い、私たちも何が大切か、もう一度考えてみる必要があると思います。

聞き手 大井一樹


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