よく小さな子から「横綱と総理大臣はどっちがえらいの」と質問されます。そんなときは「総理大臣はネコの目のようにかわるけど、横綱は江戸時代から数えてもわずか六十八人だけ。横綱になるのがどれほど大変か、分かってもらえるかな」と答えます。特に北海道はたくさんの横綱が出ているので、そのすごさが分からないのかもしれないね。
私が生まれたのは、帯広市のとなりの十勝管内芽室町です。十勝平野の真ん中で、今も昔も家の周りは畑や牧場で、遠くにゆう大な日高山脈が見えます。昔とちがうのは風を防ぐ防風林が、すっかり姿を消してしまったことかな。
家は農業で、私が小さな時は乳牛を三十頭ほど飼いながら、ジャガイモやビートを作っていました。いつも畑が遊び場で、自転車を乗り回していました。近所に有名なニジマス園があって、遊びに行ってはつりをしました。
体を動かすのは好きだったけれど、勉強は苦手だった。よく遊んでなんでもよく食べた。牛乳は飲み放題だし、カレーライスとジンギスカンが大好物。カレーなんて二、三皿ペロリだったね。両親がすしやそばもよく作ってくれた。小学校に入る前から、ほかの子供たちより頭ひとつは大きかった。
そのころの農作業は、今ほど機械化されていなくて、大変な重労働なんだ。朝から晩まで一生けん命に働く両親を見ていたので、小学生の時からよく手伝ったよ。もちろんアルバイト代もこづかいもなし。四人きょうだいの長男だったし、「自分は親のあとをつぐもの」と思っていた。
小学三年の時には、トラクターの運転を覚えて農作物を運んだからね。もちろん道路には出ないよ。イモの収かく作業も暗くなるまで手伝った。でも、体が大きかったし苦しいとは思わなかった。
冬の間の牛の世話が一番大変だった。牧草や塩や水をあたえて、よごれた牛舎のそうじもするんだ。特に、カンに入れた水運びがきつかった。まあ、そんな仕事のおかげで足こしがきたえられたのかな。
いなかだから自然にはめぐまれていた。春はウドやコゴミなどの山菜、秋はキノコをたくさん採った。冬は近くの嵐山スキー場へ行くのが最高の楽しみ。休みの日は一日中、夢中ですべっていた。こう見えてもスキーは検定二級のうで前なんだよ。 |