人口六千人の兵庫県篠山(ささやま)町《現在の篠山市》で育ちました。兄弟が六人いて、上から仁(ひとし)、公(ただし)、雅雄(まさお)、迪雄(みちお)、ぼく、そして逸雄(いつお)、男ばっかりです。小学生時代はしょっちゅう、遊んだなあという思い出が強いです。
ぼくは割と本を読むのが好き。当時は本を読まないのが健康的で良い子でした。ぼくは兄に言われてついていって遊ぶ。結局、楽しいんです。
街から半時間歩いたら川があり、里山もあるので、わんぱくぼうずが子供たちを引き連れていきました。ぼくも兄に連れられていくわけです。ちゃんばらをやって三回切られたら死ぬとか、かくれんぼ、おにごっことか、本当によく遊びました。
いっつも兄のこしぎんちゃくでしたが、小学三年の時、同級生の仲間で遊ぶのが面白いとわかりました。当時、電気のメーターがついてない家が多く、午後五時になったら、ぱっと家の電気がつくんです。うちは歯科医院なので、メーターがありましたけど。遊んでいて、電気がついたら帰ろうとよく言いました。
「学校から帰ったら、どこに集まる」と言ったら、みんな集まるんです。仲間で遊ぶ楽しさがすごく印象に残っています。兵隊ごっこや軍かん遊びもよくやったなあ。結構、ルールも守るんです。
セミやトンボとりもよく行きました。魚をとるのは、家で食べられ、喜ばれるからです。石の下にいる魚をにぎる。兄がものすごく上手で伝授されました。手だけでつかむ。篠山でモトとか、イチクチ、ハヤとかいっていた魚をつかみました。時々困るのが石の下にいるイモリ。魚かと思ったら、イモリで、「キャー」。魚ははらわたをぬいてきれいにして、もって帰り家で食べました。つりもよく行きました。買ったつりざおでなく、うちの竹やぶからとってきた竹でつるんです。
兄のこん虫採集にも、よくついていきました。ヤマをかけ回っていたので篠山には思い出がいっぱいです。 |