女優・声優

大山のぶ代さん
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 (1)声を笑われつらかった

 (2)一生できる仕事選んだ

 (3)声の仕事はすべて主役

 (4)ドラえもん せりふも発案
◆大山さんの略歴◆

 おおやま・のぶよ 1936年、東京都生まれ。都立三田高校の在学中に劇団俳優座養成所に入り、演技を学んだ。女優・声優として「名犬ラッシー」「ブーフーウー」「じゃがいも」「全国こども電話相談室」など、テレビやラジオで活やく。79年から「ドラえもん」の声を担当している。料理や水について書いた本も数多い。


(1)声を笑われつらかった
 みんながテレビなどで見ているアニメ「ドラえもん」に、ドラえもんの声で出演しています。あの声にいつから変わったのか、と思う人がいるかもしれないけど、実は私の声は生まれつきなんです。

 子どものころは四世代が一緒に住み、私は十三人家族の十三番目。兄は十一さいも年が上だったので、子どもは私一人でした。家族の最年長は、江戸時代に生まれた、ひいおじいさんとひいおばあさん。家族の会話があふれている家で育ちました。

 幼ち園の入園式のとき、「大山のぶ代ちゃん」と呼ばれたので、「はい!」と大きな声で返事をしたら、後ろの方がざわついたんです。「あら、おじょうちゃんね。お気の毒に」と言ったんですって。私の母は「やっぱり、この子の声はおかしい」と思い、いろんな病院に行きました。

 でも、悪いところはない。むしろ、お医者さんに「じょうぶな声帯をお持ちの元気なおじょうさんです」と言われました。小学校時代に歌を歌うとき、先生から一番先に声をかけられて、得意になって歌いました。自分の声が悪いなんて思わなかったです。

 それが、中学生になったら「おまえの声は、どこから出ているんだ」などと言われました。「大山のぶ代が声を出したら、みんなで笑おう」なんていう変な遊びもはやってしまって…。つらかったですが、早く終わればいいと思って学校に行きました。

 そうしたら、母から「このごろ、物静かだけど」と言われ、学校でのことを話すと、「悪いところをかばっていたら、ますますだめになる。声を出すようなクラブ活動に入りなさい」と。お母さんの言う通りだと思い、次の日に放送研究部に入りました。

 最初は「マイクで校内に流すような声でない」と、クラスの人に言われましたが、マイクの前で毎日話すうちに、気づいたら笑う人はいませんでした。

 結局、自分はおかしくもないのに、だれかがいたずら半分にやったことに、みんなが加わって笑っていたんですね。これは、ひきょうな人のやることよ、といつも子どもたちに話をしています。他人の様子を見ながら笑ったりするのは、自分の心がないんだよ、とよく言うんです。


(2)一生できる仕事選んだ
 中学一年生のときに放送研究部に入ると、マイクの前で話すのが好きになりました。そこで、連続ラジオ放送劇をやろうとみんなに持ちかけました。ラジオしかなかった昭和二十年代で、ラジオを家族みんなで聞くのが楽しみな時代でした。

 放送劇は、古本店などを回って台本を集め、土曜日のお昼休みに放送しました。やってみて、もしかして私の声は悪くないのでは、と思いました。お母さんやお父さんの声になるし、男の子の声にも聞こえるからです。何役もこなしましたが、むすめ役だけはできませんでしたけど。

 そのうち、演劇部から秋の文化祭にシンデレラをやるからと、スカウトされました。演じた役が好評で、うれしかったです。中学二年生になると、都立三田高校に入りたいと思うようになりました。その年の夏、母に「長い人生の中の一年半よ」と言われ、放送研究部も演劇部もやめて勉強し、希望の三田高校に合格しました。

 高校時代は、演劇部と水泳部でがんばりました。でも、二年生のときに母が入院し、病院で付きそいをしながら学校に通いました。母といろんな話をし、さまざまなことを教わったのですが、七カ月後に亡くなりました。その時、がんだったことを初めて知りました。

 大きくなったら私も母のように死ぬかもしれないと思い、年を取ってもできる職を手に付けようと考えました。よし、女優になろう。そのためには基そが大切と考え、俳優座の養成所に入ったんです。高校三年生のときです。

 五日間にわたる試験は大変だったけど、入った後も大変でした。三年間で三十六科目を勉強したんです。バレエや体操、心理学、英語にフランス語、そしてドイツ語…。いずれもそのころのトップの人が教えてくださいました。

 養成所の試験に受かったときはうれしかったですが、父親は反対でした。兄は「少し仕送りするから、後はアルバイトをしながらがんばれ」と、応えんしてくれました。働きながら演劇を学びましたが、ある人に「そろそろ女優の仕事でお金をもらいなさい」と言われました。

 NHKのテレビ放送が始まって一年目のころで、最初に出たドラマが「この瞳」でした。一九五六年の放送で、主役の学友Bという役でした。女優生活の始まりです。


(3)声の仕事はすべて主役
 俳優座の養成所を卒業する一九五七年、卒業公演が行われました。民放や映画関係者も出席し、運が良ければ何かの役がもらえるかもしれません。公演後にぶ台で卒業証書をもらい、楽屋にもどると民放のディレクターの方が来て、レギュラー番組に出られることになりました。

 三田高校も卒業し、女優の仕事は本格化しました。「あの子はおもしろいよ」と、いろんな番組に呼ばれました。亡くなった落語家の林家三平さんや俳優の渥美清さんをはじめ、多くの方と仕事をしました。

 そうこうするうち、「あなたの声は男の子のように聞こえる」からと、外国映画「名犬ラッシー」で、犬を飼っている男の子の声を日本語で話す仕事をしました。その後、NHKの「ブーフーウー」の「ブー」役の声に出演しましたが、この二つが評判になって、声の出演という声優の仕事が増えました。

 ところで、私は料理が好きです。昔の女の子は台所を手伝うのが当たり前でしたから、料理をすると自然に手が動きます。十三人という大家族の中で育ち、いろんな人を見たのが良かったです。作った料理には、名前を付けておくんです。たとえば、卵の黄身を加えたニンジンとホウレン草のいため物は「にんぽうタマつぶし」というふうにね。

 料理といえば、子どものころから水を大切にすることをしつけられ、「人間の背負い水」と言われて育ちました。背負い水とは、人は一生に使う水を背負って生まれ、水がなくなればその人の一生は終わりだから水を大切に、つまりモノを大切にしなさいという意味です。そのせいで水が好きになったと思います。

 テレビ番組の仕事で各地に行くと、その土地によって水の味がちがうし、伝説もあります。厚生省《今の厚生労働省》の「おいしい水研究会」のメンバーにもなりましたが、調べるとおもしろいですよ。

 女優と声優の仕事を始めて今年で五十年。この間、自分の姿が映るドラマはわき役でしたが、声の出演はすべて主役でした。中学時代に笑われた声で仕事ができるとは思いませんでした。生まれつきの声だから、無理をしないでできるんですね。

 時代劇やテレビドラマに出ながら、「ハリスの旋風」などに声の出演をしました。十年ほど声の出演をしなかった時期もありましたが、二十五年ほど前にとてもおもしろい本に出合いました。


(4)ドラえもん せりふも発案
 「ハリスの旋風」などの演出者から、「ドラえもん」の声をやらないかと、さそわれました。八巻まで出ていた単行本を買って読むと、あまりにおもしろくて一晩で読みました。これは、SFだと思いましたね。

 試作版を作って声をふきこむとき、「いい声の出演者を集めてください」とお願いしたんです。で、集まった人は「のび太」「しずかちゃん」「ジャイアン」など、みんな何本かの主役をやったトップレベルの人でした。こうして一九七九年から「ドラえもん」の声を担当しています。

 声を収録するたびに、みんなで笑ったり、なみだを流したり、のびのびと仕事をしてきました。毎週の放送のほか、特別番組や映画もあり、家族よりも声の出演者といる時間の方が長いんですよ。

 出演して一年ほどたち、みんなで函館の近くにある大沼公園に向かうと中、消防署の前に「火の用心」のたすきをかけた「ドラえもん」の張りぼてがあったんです。これだけみんなが好きなんだと、うれしかったですね。

 「ぼく、ドラえもん」のせりふは、実は私が考えました。ドラえもんは子守用ネコ型ロボットで、子どもを育てるわけですから、「おれ」とか「おまえ」などと言うわけはないと思ったんです。

 それで、台本の「おれ」を「ぼく」に変え、机の引き出しから出てきたときは「こんにちは。ぼく、ドラえもんです」と自己しょうかいするようにしたんです。演出家の方も任せてくれました。

 のび太とけんかをするときは、五−六さいの子どもの気持ちで、のび太が「ドラえもん…」と、たよって来るときは、母のような優しい顔をしたドラえもんの表情に合わせ、言い方を工夫しています。

 みんなで決めたことがあります。それは、悪い言葉づかいはやめよう、ということです。だから、ジャイアンは「ばかやろう」とは一度も言っていません。みんなで考えた末のせりふが、「この、この、のび太のくせに」です。

 ラジオ番組の「全国こども電話相談室」に出ると、「声優になりたい」という人が多いんです。私は、必ず「本をたくさん読んでください」と言います。アニメの登場人物に声でたましいを入れるわけですから、本を読めばいろんなことを知り、想像できるためです。友達をつくり、家族と話しなさいとも答えています。

 おじいちゃんが言っていた「人は、人にもまれて人になる」という言葉を今でも覚えています。

 聞き手・編集委員 茶木一範


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