| Q 「伊能図」の意義は A 明治の近代地図の基に |
| 測量隊の隊員たちは毎夜、宿屋でデータ整理などのデスクワークもこなす。禁酒を命じられたが、作業の節目などには多少の飲酒が許されたらしい。忠敬は、隊員の統率によく気を配る優れた管理職でもあった。 一八一五−一六年の伊豆七島と江戸の測量で、計十次、日本全国にわたった大測量は終わった。 忠敬は一八年に七十三歳で病没。二一年、測量の成果は「大日本沿海輿地全図」としてまとめられ、幕府に納められた。 この伊能図は、後にドイツ人医師シーボルトが国外に持ち出そうとして発覚したり、英国海軍がその正確さに驚き幕府から譲り受けるなど、西洋人には注目されたが、江戸時代の国内ではほとんど活用されなかった。 だが明治時代、陸軍は伊能図を基に日本全図を作った。渡辺さんは「すぐには役立たないと分かっていながら地図づくりに情熱を注いだ忠敬、それを命じた江戸幕府、双方偉かった。まさに国家百年の計。現代人は見習わねば」と話している。 |
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