熱病社会考 投票を前に
<4> 一色に染まる恐れ 増え続ける「思考停止」
 ある友だちの「意見」が、ずっと気になっていた。

 東京の出版社、大月書店に勤める丸尾素子さん(36)=札幌市出身=はそんなことを言う。全国で静かなブームになっているフランスの反ファシズムの寓話(ぐうわ)「茶色の朝」の出版を担当した人だ。

 その友だちは、大事件や政治の話になると、前の晩にテレビ放映した報道番組のコメンテーターと同じことを言う。分かりやすい「言い切り型」の意見。おうむ返しで言えるので、深く考えていなくても構わない。

 丸尾さんは昨年末「茶色の朝」を出版する時、この友人のイメージが頭にあったという。そういえば、同じような光景が増えていないだろうか。

 「茶色の朝」はこんな話だ。

 ある国で茶色以外の犬猫の飼育を禁ずる「ペット特措法」が施行されたのを機に、街はあらゆるものが茶色になっていく。主人公は妙な感じが残ったが、穏やかな生活を守るため、「それも悪くない」と受け流していた。しかしある朝、自らが国家反逆罪の対象となり、すべてが手遅れになったことを知る。

 詩画集風の小さな本だが、全国で売れ続け、この手の本には珍しく、出版から半年で十刷目、二万八千部を売った。

 実は丸尾さん自身、初めて「茶色の朝」を読んだ時、「この主人公は私だ」と思った。読者カードで、多くの人もそう感じたことを知った。

 参院選の公示前、有事関連七法が成立、自衛隊の多国籍軍参加もあっさり閣議決定された。小泉純一郎首相は「集団的自衛権の行使を憲法に明記すべきだ」との考えを表明。選挙が終われば、憲法改正論議がいよいよ本格化する。

 世の中の動きに「何か変だな」とは思うが、日常の忙しさを理由にやり過ごしている人は多い。

 全くの無関心とはちょっと違う。でも、ゆるやかに思考停止している人が増えている。「茶色の朝」の巻末に解説を寄せた東大大学院の高橋哲哉教授(哲学)は二年前、東京都内の大学で講演し、こんな経験をした。

 講演終了後、女子学生が二人、高橋教授を訪ねて来て「あの、小泉さんの悪口をあまり言っちゃいけないんじゃないでしょうか」と言った。確かに、小泉政権を批判する場面があった。しかし、それは「批判」であり「悪口」ではない。

 高橋教授は「権力者に擦り寄るというよりは『お友だち感覚』。普段あまり話をしない同級生より、毎日テレビに出る首相に親近感を抱くのでしょうか」と話す。

 政治に無批判な人々が増え、権力者のフリーハンドが広がる。熱病のように見える世論の渦の中に、ぽっかり空虚な穴が開いているようだ。

 高橋教授は「民主主義社会を維持していくためには、一人ひとりにコストがかかる。面倒な議論を嫌がらず、思考停止をやめること。だまされないためには考え続けるしかありません」と続けた。

 六月二十九日、旭川市内で、女性たちの市民団体による「茶色の朝」の読書会が開かれた。

 女性たちは言った。「私たちが主体性を発揮しようとしても、選挙は限られた政党のレールのどこかに乗るしかない。でも日常に流されないために、唯一自分を表現できるのも、やはり投票なんです」(おわり)