序章



 19年回り続けたコマ

 「お、お、お」。顔色変えずに紙袋の現金を受け取った。


 一軒の家に、車から降りた紺の背広姿の男が駆け込んだ。2002年4月29日、十勝管内広尾町豊似。鈴木宗男だった。

 鈴木が秘書を務めた元農水相、中川一郎の実弟である故中川正男宅。2日前に正男の一周忌があったが、「静かに故人をしのびたい」として鈴木は出席を断られていた。突然、訪れた鈴木は仏壇の前で手を合わせた。

 その翌日、東京地検特捜部は鈴木の公設第一秘書宮野明を逮捕した。捜査の手が、鈴木にも迫ろうとしていた。秘密裏の来道だった。鈴木は町内の別の場所に住む正男の弟で71歳になる健三の家も訪ねた。「一郎先生にお参りしたかったんです」と鈴木は言った。


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初当選翌日の1983年12月19日、広尾町にある中川一郎の墓前で当選の報告をする鈴木。衆院議員としての人生が始まった
 正男と健三。一郎の自殺後、長男の中川昭一と「骨肉の争い」を展開した1983年の衆院選で、劣勢が伝えられる鈴木を支援し、初当選に結びつけた。だが、鈴木が選挙区を釧根にくら替えしてから関係は希薄になっていた。

 断られてもやって来た鈴木の真意を関係者は測りかねた。その当時の恩義に報いたいとの思いだったのだろうか。気持ちの整理だったのか。この時、すでに鈴木は「逮捕を覚悟していた」。

 1983年12月19日、鈴木はやはり広尾にいた。前日、投開票された衆院選での初当選を一郎の墓前で報告するために。

 旧北海道5区(釧路、根室、十勝、網走管内)での最初の総選挙。昭一が同情票を集め、破竹の勢いだったのに対し、鈴木は非難の集中砲火を浴びていた。「中川は鈴木が追いつめたから自殺した」
 鈴木の遊説の振り出しも広尾。人垣の中を握手して回る鈴木に「この人殺し!」と罵声(ばせい)を浴びせ、ほおをたたいた男がいた。空気が凍り付く。だが、鈴木は平然と、その人の右手を握りしめた。「鈴木宗男です。よろしくお願いします」

 35歳で初陣を飾った鈴木は新聞のインタビューでこう語っている。

 「3回当選するまでは地元優先、利益誘導と言われても思い切り現実路線で行きたいと思っています。地盤をがちっと固め、それから天下国家、北海道のことを言ってみたいと思っています」

 だが、選挙は苦しい戦いの連続だった。

 定数5の旧北海道5区で、初回は4位当選。2回目以降も4位、5位、4位と下位当選に甘んじた。道13区(釧路、根室管内)に国替えした5回目は北村直人=当時新進党=に敗れ、比例代表で復活当選。6回目は比例代表道ブロックのみで、出馬、当選した。

 「選挙が弱いから、当選を重ねても地元の面倒を見続けなければならなかった」。古くからの支持者は言う。

 鈴木がまだ中川の秘書だった1980年ごろ、東京・赤坂。車の中で、当時、建設会社の社員だった男性が紙袋を鈴木に差し出した。「お世話になりました。これは会社から」。「お、お、お」。鈴木は顔色一つ変えずに受け取った、とこの男性は証言する。紙袋には2000万円近い現金が入っていたという。

 男性は鈴木に「口利き」を依頼し、道内の自治体が発注する約6億円の事業を受注した。「謝礼は業界の常識。鈴木さんは若いうちにこれを覚え、金額や回数が増えるたびに態度が大きくなっていった」

 議員1期目のころ、省庁の局長クラスを呼びつけて「バカ野郎」と怒鳴る鈴木を、周囲がいさめた。だが、鈴木は「オレは若いからバカにされる。そうさせないためにやるんだ」。

 一方で、官僚に道東産の新巻きサケなどを盆暮れに送り続けた。「たいした額じゃないから、もらう方も気楽。これでおれの名前を覚えてもらえるし、『あれ、うまかったか?』と話ができるだろ」

 集金力に物を言わせ、実力者に取り入って、永田町の階段を駆け上がっていく。夜の会合の前にはスポーツジムへ。トレーニングの後、コップ一杯のタンパク質入り飲料を飲み干してマチに消えた。寝る前に200回の腕立て伏せを欠かさなかった。肉体を鍛えることで、どんな逆境にも打ち勝つ強靭(きょうじん)な精神力を築くことができる−。そんな信念がそこにあった。

 鈴木を「回り続けるコマ」にたとえた支持者がいる。「回るのをやめたとき、コマは倒れてしまう。ゼロから今の地位を築き上げた鈴木は、人一倍、必死に回り続けるしかなかった」

 落日は意外なほど早かった。疑惑の噴出、証人喚問、側近秘書の逮捕、そして自身も−。

 中川一郎が自ら命を絶ったのは初当選から19年後。くしくも、今年は鈴木の初当選からちょうど19年である。


 

北海道新聞
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