第1部 源流
「ウチが世話になってる。頼む」 |
| 元農水相、故中川一郎の元秘書は、1970年代後半、東京・永田町の衆院第一議員会館で見た光景を記憶している。 中川の部屋だった720号室。道開発庁の職員が分厚い書類の束を抱えて入ってきた。港湾、道路など事業別になった開発予算の一覧表。中川は不在で、議員用のいすに腰掛けた公設第一秘書の鈴木宗男が次々とページをめくってゆく。 「『この事業はこの業者、こっちはこの業者』。鈴木が振り分けて、印を付ける。割り付けだ。今でこそ業者同士の談合がどうのと言うが、当時は役所の人間が鈴木と談合していたんだ」
当時、中川事務所には1日50−60件もの陳情があった。陳情者は1000人近くもいた。ほかに入学や就職の世話、中央省庁への働きかけ、公共事業の口利きの依頼もある。それらをさばく鈴木の手腕に周囲は驚嘆した。 ある建設会社の元社員は1970年代後半、道内の一部事務組合が発注する公共事業を受注できるよう、鈴木に口利きを頼んだ。別の国会議員がバックに付いた業者との間で、せめぎ合いが数カ月に及んでいた。「分かった」。鈴木はすぐ受話器を取った。相手は組合を構成するある自治体の首長。「ウチが世話になってるんだ。頼む」 「翌朝、受注が決まった。驚いたよ。事業費は約6億円。謝礼として鈴木に200万円を渡した。もちろん領収証は出ない。後から、会社の役員が1800万円を中川事務所に持参したと聞いた」 中川事務所関係者によれば、口利きも、目の前で電話をかける手法も、中川のスタイルだった。 「陳情の善悪はいいから、とにかくよく話を聞け。そして、すぐ対応しろ」。衆院議員となってから、鈴木は自分の秘書にそうたたき込んだ。 「例えばマチに橋を造ってくれ、と頼まれても、全体状況を考えて難しければ、そう答えるのが普通だ。でも鈴木さんは違う」と、元支持者の1人は語る。「依頼者がどんなに困っているか真剣に聞いて、それにこたえることが彼の政治のすべて。彼には、“部分”がすべてなんだ」 道東のある自治体の首長は「口利きは、右から左までやっていない政治家はない」と言いながら、こう続けた。 「ただ、鈴木さんは無理したんでしょう。選挙が弱かったから。生き残るために、突出してしまった」 (敬称略) |