題字 第2 腐食 



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 既定事業、自らの実績に

 「釧根は政治家が必要」開発予算急伸


 鉛色の空にカモメが舞う釧路西港2号緑地。1998年5月に始まった第2期工事の着工記念碑があった。

 「国務大臣 北海道開発庁長官 鈴木宗男」。黒御影石に直筆の白い文字。5万トン級の大型貨物船も接岸できるよう、10年以上かけて、2つのふ頭を新設する事業着手を「手柄」として誇示するかのように鮮やかだった。

 「釧根は一番政治を必要としている」。着工3年前の1995年6月、釧路の官公庁のトップを前に鈴木は訴えた。同年度の釧路開建の開発予算は362億円(年度当初、以下同)で、帯広開建の半分強にすぎなかった。「1996年度は間違いなく400億円の大台に乗せて、420億円、430億円と伸ばしたい」

 小選挙区制の導入で釧根にくら替えすることが決まってから、3カ月後の発言だった。

 その言葉通り、翌1996年度の予算は407億円。以後、公共事業削減の流れにもかかわらず、釧路開建の開発予算だけは6年連続で前年を上回り、2001年度には522億円に達した。

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釧路西港の第2期工事着工記念碑。「手柄」を誇示するように立っている
 「公共事業をぶんどって来ることのできる貴重な剛腕」。あっせん収賄罪で起訴されてもなお、釧根の土建業界はもちろん、自治体の首長にさえそんな声が消えない。評価の裏付けは、この開発予算の伸びである。

 だが、この伸びの源泉は、本当に鈴木の力だけだったのか−。

 道開発庁の元幹部は「優先順位の似通った他の地域の事業を押しのけるのは政治の力。鈴木さんの力は否定できない」としながらも、こう続ける。「でも釧路の場合、開発予算が増えた主要因は空港と港湾の整備事業。どちらも長年の積み重ねの上の既定路線だった」

 複数の道開発庁・開発局元幹部によると、1996年度予算が膨らんだ要因は釧路空港の滑走路延長工事。だがこれは1995年度に着手し、1996年度の継続は既定の方針だった。釧路西港第2期工事も、漁業者への補償交渉が1996年3月に妥結したことが、着工への契機となった。

 そもそも、貨物需要が伸びながら設備能力が極端に不足していた西港は「予算配分の優先順位が全国でも高位。予算は増えこそすれ減る可能性はなかった」(同庁元幹部)。こうした情報を鈴木はいち早く手に入れ、巧妙に「利用したはずだ」−。複数の同庁幹部はそう口をそろえた。

 もちろん、鈴木が力を発揮した部分も少なくない。

 1998年12月21日。内閣官房副長官(当時)の鈴木は、釧根の市町村長ら50人を首相官邸に招いて胸を張った。「道路整備については私が予定を2年間前倒しにしておりますから」。1999年度開発予算の大蔵原案に、地域高規格道路など釧根での道路整備事業が要求通り盛り込まれたことの誇示だった。

 需要予測を前提に投資の必要性を予算当局に納得させなければならない港湾や空港に比べて、道路は、政治家が介入しやすい、という。

 「予算要求時にち密な計算はいらない。道路族の衆院議員がドンと机をたたいて決まることもある」(同庁の元幹部)

 1995年、鈴木が地元でこう言ったことがある。「これまでは地元の政治家がやるべきことをやってこなかった」。「虚像」を巧みに操り、「実像」以上に大きく見せながら、鈴木は釧根で票とカネをかき集めた。

(敬称略)


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北海道新聞
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