2002/07/13(土)
ダブルマザー
享保雛=伊達市開拓記念館
 4年前の2月、当コラムのテーマは「ダブルマザー」。すでに使用済みの言葉だったかどうかは知らない。内容は、父性と母性の混乱について。オチは、友だちカップルは結局、おかあちゃんが2人になっただけじゃないの。

 男女平等の昨今、表現に気をつけなければならない。父性と母性くらいでも、過敏に反応されがち。で、ダブルマザーにカチンときたらしい女性からの電話はよく覚えている。

 「ダブルマザーって、どなたかエライ人の言葉かしら」

 「さあー、わかりません」

 「あなた一人が勝手に言っているわけね」

 「はあー、そうかもしれません」

 「じゃ、いいわ」

 失礼くさい電話は、失礼くさくガシャッと切れた。

 もちろん、父親=父性でもなく、母親=母性でもない。どちらも兼ね備えた父親や母親はいる。しかし、父性と母性の機能は明らかに違う。男女平等とは別な話でしょ。

 母性は、子供に安全を保障する基地、つまり子育ての“巣”担当。とりわけヒトの巣は念入り、母性はすべてを受け入れ許す。オヤジになっても、「おかあちゃん」に泣ける原因はこれ。

 とはいえ、少子化・家事省力化の問題は、しばしば巣は念入りが過ぎること。いつか巣立ちの日を迎えるのは、動物もヒトも同じ。だが、母性は納豆みたいにねばつき、子供の翼をからめとる。父性の登場はこのとき、決然と子供の巣立ちをうながすのが父性の機能だ。さもないと、出番は永遠にない。

 確かに、2人の子育ては大切。何かと大変な母性への支援も必要に違いない。それでも、ダブルマザーならいらない。引きこもりやパラサイトシングルという現象をながめるとわかるはず。

 札幌市の調査では、育児参加していると答えた父親は94.8%。立派な数字ですよ。ただ、それに満足する母親はたった17.5%。女性に満足していただくのはむずかしい。ならば、覚悟して父性の出番を待つべきですね。

(渡部正行=精神科医・札幌)