得意の内またが鮮やかに決まった。1996年アトランタ五輪の柔道女子61キロ級決勝。恵本裕子が開始わずか56秒、ベルギーのバンデカバイエを裏返しにした。世界の選手層が最も厚いといわれた階級に挑んだ旭川育ちのダークホースによる快挙。日本の柔道女子選手で初の五輪制覇という金字塔でもあった。
当時23歳。前回バルセロナ五輪の金、銀メダリストらを連破してバンデカバイエとの決勝へ。相手が足をすくいにきたところを絶妙の間合いではね上げた。「五輪には魔物がすむとかいわれていたけれど、私には神様がすぐそばにいてくれた気がしました」。最高の舞台で最高のパフォーマンスを演じ、声が弾んだ。
原動力になったのが前年の世界選手権での苦い経験だった。大会前は体がよく動き、自信を持って臨んだ。それが1回戦、無名の欧州選手に開始11秒、出足払いで敗れた。
「完ぺきに調整しても、ああいう負け方をするときがある」。肝に銘じ、五輪に向けた調整は「本番で負けても自分の責任」と納得できるよう、マイペースを貫こうと決意した。「好きなようにやらせてもらいます、とコーチに宣言しました。生意気と思われてもいい。そんな気持ちでした」
48キロ級の田村亮子のような断然の本命でなかったことが幸いした。周囲も自己流を許してくれ、疲れたら自分の判断で練習をやめた。アトランタでは時折、選手村から抜け出したりして過度な重圧を発散した。開き直りが功を奏し、本番では、「体が動くいい緊張」を感じたという。
「体力がピークで、精神面が充実していて、運があった。全部がかみ合い、私は金メダルが取れたのだと思います」。ソフトボールやサッカー女子の導入などで女子競技が脚光を浴びたアトランタ五輪。田村が不覚を取った波乱の大会で、“柔道のシンデレラ”はこうして誕生した。
恵本は現在、韓国の天安市に住む。柔道を通じて知り合った97年世界選手権男子65キロ級の優勝者、金赫(キム・ヒョック)さんと99年に結婚した。流ちょうに韓国語を話し、「私のもう一つの夢でした」という専業主婦となって、今月17日には2人目の子供を授かった。
アテネ五輪には、旭南高から三井住友海上と、同じ道を進んだ上野雅恵が女子柔道70キロ級に出場する。「メダルを狙う力は十分。体力維持に集中し、うまくリラックスしてほしい」。自身の挑戦過程と重ね、「寡黙でしんが強い」後輩にエールを送るつもりだ。(山本泰人) |