北海道新聞





聖地にかける



2004/5/21(金)朝刊

 第1回大会の開催地、アテネに戻る第28回夏季オリンピック。節目の大会を前に、五輪に挑んだ北海道ゆかりの選手の活躍や奮闘の歩みなどをたどった。(10回連載しました)


 得意の内またが鮮やかに決まった。1996年アトランタ五輪の柔道女子61キロ級決勝。恵本裕子が開始わずか56秒、ベルギーのバンデカバイエを裏返しにした。世界の選手層が最も厚いといわれた階級に挑んだ旭川育ちのダークホースによる快挙。日本の柔道女子選手で初の五輪制覇という金字塔でもあった。

 当時23歳。前回バルセロナ五輪の金、銀メダリストらを連破してバンデカバイエとの決勝へ。相手が足をすくいにきたところを絶妙の間合いではね上げた。「五輪には魔物がすむとかいわれていたけれど、私には神様がすぐそばにいてくれた気がしました」。最高の舞台で最高のパフォーマンスを演じ、声が弾んだ。

 原動力になったのが前年の世界選手権での苦い経験だった。大会前は体がよく動き、自信を持って臨んだ。それが1回戦、無名の欧州選手に開始11秒、出足払いで敗れた。

 「完ぺきに調整しても、ああいう負け方をするときがある」。肝に銘じ、五輪に向けた調整は「本番で負けても自分の責任」と納得できるよう、マイペースを貫こうと決意した。「好きなようにやらせてもらいます、とコーチに宣言しました。生意気と思われてもいい。そんな気持ちでした」

 48キロ級の田村亮子のような断然の本命でなかったことが幸いした。周囲も自己流を許してくれ、疲れたら自分の判断で練習をやめた。アトランタでは時折、選手村から抜け出したりして過度な重圧を発散した。開き直りが功を奏し、本番では、「体が動くいい緊張」を感じたという。

 「体力がピークで、精神面が充実していて、運があった。全部がかみ合い、私は金メダルが取れたのだと思います」。ソフトボールやサッカー女子の導入などで女子競技が脚光を浴びたアトランタ五輪。田村が不覚を取った波乱の大会で、“柔道のシンデレラ”はこうして誕生した。

 恵本は現在、韓国の天安市に住む。柔道を通じて知り合った97年世界選手権男子65キロ級の優勝者、金赫(キム・ヒョック)さんと99年に結婚した。流ちょうに韓国語を話し、「私のもう一つの夢でした」という専業主婦となって、今月17日には2人目の子供を授かった。

 アテネ五輪には、旭南高から三井住友海上と、同じ道を進んだ上野雅恵が女子柔道70キロ級に出場する。「メダルを狙う力は十分。体力維持に集中し、うまくリラックスしてほしい」。自身の挑戦過程と重ね、「寡黙でしんが強い」後輩にエールを送るつもりだ。(山本泰人)

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