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2004/12/12(日)
優勝した理由
なぜ、駒大苫小牧は優勝できたのか−。初戦で対戦し、3−7と敗れた佐世保実(長崎)の井上監督は、決勝戦に答えを見つけた気がした。 「二回が終わった時点で1対5。(済美リードの)この4点差は単に技術の差。最終的な13対10は、技術だけではなく、精神力などを含めた総合力の差だと思います」
準決勝で戦った東海大甲府の村中監督は、自らの体験を引き合いにして総合力を「築かれた強さ」と言い換える。 東海大甲府は3年前の夏、山梨県予選決勝でサヨナラ負けした。選手はその試合の新聞記事を切り抜いて後輩に引き継ぎ、2年後、11年ぶりの甲子園出場を果たした。 村中監督は昨夏、駒大苫小牧が降雨ノーゲームで甲子園初勝利を逃したことを知っている。 「そこまでつらい経験をしなければ出せない粘りと強さはあります」 日大三の小倉監督は、決勝まで5試合でわずか「1」だった失策の少なさを手がかりにした。 「守りの堅さは、そのまま選手の気持ちの強さ。あと数センチ手を伸ばせば届くボールに頑張って食らいつけるかどうか。(駒苫は)雪上ノックをしているそうですね。本州でも最近は冬にボールを扱わず、筋トレが中心の高校も多いけれど、ボールを握る時間を多くすることがうまくなる近道。『ほかとは違う練習をしてきたんだ』と思えるチームは強いですよ」 9月、横浜の渡辺監督は全日本高校選抜チーム18人を率いてAAA世界選手権(台湾)に遠征した。駒大苫小牧からは鈴木と糸屋、済美からも鵜久森、福井、甘井の3人が選ばれた。準優勝して帰国すると、鈴木と糸屋からはがきが届いた。 「2人だけでした。『たいへんお世話になりました』などと。横浜が負けた理由が分かった気がしました。勢いや運などではない。純粋な心が集まってチームプレーへと結晶した。うちはそれがなくて、つなぐことができず個々の野球だった。負けて悔しいと思うチームはありますが駒大苫小牧には敬意を表します」 「エース級の投手が2人いた」「球に逆らわない打ち方ができた」−。 技術や戦術論で優勝した理由をいろいろ挙げても、監督たちは最後に選手の「気持ち」や「心」を口にした。 「(駒苫は)打撃に尽きる。全員が失敗を恐れていなかった。自信とは少し違う。『なんとなく、でも打てる』という思いを選手たちに感じました」。済美の上甲監督はそう振り返ると、温和な表情を一変させた。 「愛媛ではね、決勝は絶対に振り返らない、と言ってあるんです。スコアブックを見ると腹が立つ。(初出場で春夏連覇の)不滅の記録に挑戦できたのは済美だけ。日がたつほど、その価値が大きく感じられてくる」 “伊予の攻めダルマ”は雪辱の機会をうかがっている。 JR苫小牧駅から車で10分ほどの住宅地に駒大苫小牧はある。10日午後1時半、新チームの練習が始まった。両翼95メートル、最奥125メートルのグラウンドは外野の一部がうっすらと雪に覆われていた。 横浜戦でサイクル安打を放った林は主将になった。きびきびと練習を仕切っている。「前チームと僕らは違う。でも、ああいうチームをつくれたらいいなとは思います」 甲子園でみせた、あきらめない野球は新チームにも引き継がれた。 9月の秋季大会室蘭支部予選の初戦は、九回裏二死まで室大谷に1点リードされた。五十嵐の適時打で追いつき、延長十一回にサヨナラ勝ち。 投手松橋が振り返る。 「やればできる、って声を出し続けた。先輩たちを見習いました」 その勢いで全道大会に出場し優勝、来春の甲子園切符を確実にした。夏春連覇を期待する声もナインの耳に届いてくる。今夏の済美がそうだったように全国の高校球児の目標にされるだろう。 林は言う。「それでも僕らはチャレンジャー。また、一からはい上がるだけです」 あの、雨に泣いた昨年の夏のように。 (おわり)
◇ ■熱戦のあと この連載は文を渡辺徹也、写真を甲子園取材班が担当しました。ご感想をお寄せください。ファクスは011・210・5619、電子メールは添付文書ではなくメール本文でspo-news@hokkaido-np.co.jpへ。 |
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