緊急リポート  <上>紙一重
 <下>発生確率60%  


<上>紙一重 震源域深いと大惨事
(2003年9月27日掲載)

■奥尻思い出す…■

地震による津波で陸に打ち上げられた多数の漁船=26日午後3時41分、十勝管内豊頃町の大津漁港(中日新聞社ヘリから)
 突き上げるような衝撃で目が覚めた。二十六日午前四時五十分。釧路管内厚岸町床潭(とこたん)の竹ケ原フミさん(77)は、揺れ始めた部屋の中で体を起こした。「これは逃げなきゃだめだ」。五十一年前の地震による津波で、自宅を流された記憶が頭の中をよぎった。

 準備している手製の「避難袋」を押し入れから取り出す。でも、中には食べ物があまり入っていない。仏壇のお供え物をつかんで袋に放り込み、家を飛び出した。

 根室市青少年センターに避難した相馬加智子さん(49)も「奥尻島の津波が頭に浮かび、恐ろしかった」と振り返る。経営する飲食店は沿岸にある。店内ではウオツカの瓶数本が割れ、写真や人形が床に散乱していた。

 住民を恐怖に陥れた地震は、時を経るにつれ、次第に被害の全容をあらわにし始めた。道内の太平洋岸一帯を襲った津波は、日高管内浦河町で高さ一・三メートルを記録。JR北海道は線路や橋りょうなど、九十二カ所の被害を確認した。
 「北海道東方沖地震などにも耐えられるように設計したはず。天井だけ落ちるとは想定していなかった」

 釧路空港旅客ターミナルでは関係者が、むき出しになった茶色い鉄骨をぼうぜんと見上げた。二階出発ロビーの天井の七割近くが崩落。現場には細かい粉じんが舞う。

 同じように放心した様子で同日、出光興産北海道製油所の稲井清男タンク火災調査委員長が記者会見した。「この程度の地震で、火災が発生したことを深くおわびします」

■「運が良かった」■

 道内で震度6以上の地震は一九九四年の北海道東方沖地震以来九年ぶりだった。

 最多の負傷者を出した釧路市では「十年前の釧路沖地震の教訓が生きた」との声が相次いだ。釧路沖地震は同市内だけで死者二人、重軽傷者四百七十七人の被害を出したが、ほぼ同規模の今回のけが人は三分の一以下。被害を抑えた陰には、市民の自主的な防災意識の高まりもあったという。

 釧路市の看護師西村由美さん(46)は「すぐに玄関の戸を開け、家族がいつでも飛び出せるようにしていた」。商品が飛び出さないよう冷蔵庫のドアを観音開きからスライド式に変えた酒店や、酒瓶の棚にテグスを張った居酒屋もあった。

 これに対し企業の危機意識に落とし穴はなかったか。同製油所は近隣の原油貯蔵タンクには被害がなかったことについて「何らかの差があったことは認めざるを得ない」と、対震技術面に不足があった可能性を認めた。

 北大大学院の島村英紀教授(地震学)は今回の地震を「非常に運が良かったと思う」と評した。

■油断できぬM8■

 今回の地震は、五二年の十勝沖地震と震源域が近く、地震の規模もほぼ同じだった。ただ、この十勝沖地震は最大六メートルの津波が襲い、死者・行方不明者三十三人を出し、今回とは被害の程度に差が出ている。

 島村教授によると、理由の一つは震源域の位置にあった。今回は五二年より陸地寄りで、水深の浅い地点で起きた。だから沖合の水深の深い地点で発生した場合よりも、津波が規模を増幅する距離が短いため、結果として波は大きくならない。

 震源域が少しでもずれていたら、違った結果もあり得た。島村教授は「M8クラスの地震がこんな程度と思ってもらったら困る。途方もない被害を十分もたらすエネルギーだ」と警鐘を鳴らした。


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