警察「裏金」 取材班の中間報告



道警裏金問題

<5> ゆがんだ「伝統」 半世紀続くシステム
2004/05/03(月) 朝刊
 道警OBの男性(66)が手元の箱から取り出したのは、一九七六年(昭和五十一年)と書かれた黒の古い手帳だった。各ページには、鉛筆でびっしりと書き込みがある。

 容疑者の名前、事情聴取の日取り…。三十数年間に及ぶ刑事生活の断片。裏金の記録は、その間に埋もれていた。

 「ずっと書類の偽造をやらされていた。あんまりバカらしいから、毎年記録を取っていたのさ」

道警OBの男性が保管する手帳。約30冊の手帳には、その時々の裏金に関する記録が書き込まれている
 例えば、同年二月二十九日から三月六日のページをみると−。

 三月二日は「道庁爆破あり」の書き込みの隣に、「捜査費700円」。捜査費の名目で裏金から支出されていた毎月定額の金は七百円だった−という意味だ。

 一方、欄外には「支払精算書 51・1・17 5000円 稲高均、同 51・1・14 5000円 小島保男」の記述。報償費の書類を偽造する際、適当につくった架空協力者の名前と金額、日付である。つまり同年の三月、道警では、このOBの手で一万円分の書類が偽造されて裏金に回り、七百円は彼に渡り、残り九千三百円の使途は分からない−というわけだ。

 カラ出張の記載もある。「出勤簿 2月27、28日 出張とのこと」。書類上は、一泊二日で出張したことを意味する。

 この男性は五六年に道警で警察官になり、数年前の退職時まで「裏金システムは続いていた」と証言する。

 「自腹を切って情報を取る。それが刑事」と男性は思う。だが、道警の裏金システムは、その矜持(きょうじ)を見透かしたように、金を現場から吸い上げていた。

各地で一致点

 道警を突破口に、各地で表面化する裏金疑惑には、絵に描いたような「一致点」がある。

 三月上旬、静岡県警総務課で発覚した九五年度分の「裏金」約九百四十万円は、冒頭の道警OBの証言と同様、「カラ出張」が原資だった。同県警の裏金は総務課次長が、自ら手提げ金庫で管理していたとされ、この点は複数の道警OBらの証言と全く同じだ。

 福岡県警では裏金づくりで、架空の協力者名を電話帳から選んだといい、旭川中央署などの手法と寸分も違わない。

 それだけではない。

 警察庁警視監で退職した松橋忠光氏(故人)は、八四年の著書「わが罪は常にわが前にあり」で、六○年に島根県警で発覚した裏金疑惑について「『二重帳簿』と裏金による警察の経理運営が…姿を消すよう念願していた」と指摘していた。裏帳簿の存在は、弟子屈署元次長の斎藤邦雄氏らによって、道警でも明らかになっている。

 警察の裏金は、道警が言う旭川中央署などの一時期の問題ではなく、各地で半世紀も前から続く「伝統」だった−。それは、ほぼ間違いない。

「たかり体質」

 警察庁と裏金の関係も残る。

 数年前に警視で退職した道警OBは取材班に「防犯部(現生活安全部)では、警察庁相手の接待があった。接待にはマニュアルがあり、相手の役職によって三段階に接待のランクを決め、接待金額の上限が決められていた」と強調した。典型的な官官接待であり、「警察庁のたかり体質」の下で、これら費用は裏金から支出されたという。

 さらに、裏金の一部をひそかに警察庁へ回す「上納」疑惑も消えることがない。

 組織の骨格に染みついた裏金、その背景にちらつく警察庁。元釧路方面本部長で、裏金づくりの実態を赤裸々に明かした原田宏二氏は「(裏金への関与など)在職中のことは忘れない」と述べた上で、こう指摘した。

 「私の話にしがみついているうちは、真相解明は進まない。私の話は一つのきっかけにすぎないのです」

(おわり)