発信2006 炭鉱が楽園になった 「ハワイアンズ」の実践

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 適時適切の判断を誤り、住民との意思疎通を欠いたまま観光事業を推し進めた夕張市。街の再生に向け、ハワイアンズから学ぶべき点はまだある。フラガールをはじめとする人材活用術だ。(報道本部の古田佳之が担当しました)

2006/11/14 (火) 朝刊
主役決め「適時適切」に

 肌寒い山道を登り切った先は「ハワイ」だ。コート姿の来訪者はアロハシャツや水着に着替え、「常夏」を満喫する。

ドーム形の巨大温水プールの室温は、年間を通じて28度に保たれている。まさに「常夏」だ
 福島県いわき市の湯本温泉街にある「スパリゾートハワイアンズ」。札幌ドーム一・五個分の広さの施設内では、子供が巨大プールの滑り台に歓声を上げ、カップルがヤシの実ジュースを挟み談笑する。お年寄りもギネスブック登録の大露天風呂にゆったりとつかる。

 斜陽化する石炭産業からの転換策として、常磐炭砿(現常磐興産)が一九六六年に開業した。原野は年間百五十万人が訪れるリゾート地に変ぼうし、誕生ドラマを映画化した「フラガール」は興行収入十二億円を超すヒット作となった。

 同じ旧産炭地の夕張市は、博物館や遊園地を備えた石炭の歴史村で再起を図りながら、財政破たんを迎えた。「炭鉱から観光へ」を目指した両者が明暗を分けた理由は何か。東京から二時間圏内、毎分三トンもの湯がわき出るという「地の利」に加え、常磐興産が掲げる「適時適切」の戦略が見逃せない。

 象徴的なのが九○年、開業以来の「常磐ハワイアンセンター」の名を捨てたことだ。「あこがれのハワイ」は今や気軽に行ける時代。軸足をスパ(温泉)に移し、エステやジャグジーの「くつろぎの空間」を目指した。

 人気にかげりが見えると、江戸風、南欧風など温泉の「多国籍化」を図り、施設拡充の度に集客増につなげた。ロボット、映画、動物と、石炭とは無縁の展示施設を乱立させた「歴史村」と異なり、あくまで温泉を主役にすえた。

 挫折も皆無ではない。「水中活劇ショー」と銘打った大水槽が破裂し、数億円が水の泡に。夜の霧をライトアップする試みも、「湯の岳おろし」と呼ばれる特有の風で吹き飛んだ。施設の大半を手掛けてきた坂本征夫取締役(61)は「失敗を恐れては会社の明日はない。客層の老若男女が何度も来て楽しめる施設にと、前進し続けた」と話す。

 東京から来た六十代の夫婦が「癒やしを求め、年二回は来る」と話す通り、「リピーター率は90%」(営業部)という。

 現在、最も力を注ぐのは、「宿泊客が奪われる」と距離を置かれていた地元温泉街との共存だ。三年前に本社を東京からいわき市に移転。温泉街の宿泊者を対象に、施設の二日利用券を一日券よりも安く提供した。温泉街もチラシを置くなど協力し、双方の集客を伸ばす原動力となった。

 元禄八年(一六九五年)創業と温泉街では最古の「古(ふる)滝屋」館主・里見庫男(くらお)さん(66)は「地元に愛される企業を目指す姿勢に共感し、対抗意識は捨てた」と話す。

◇スパリゾートハワイアンズ◇
 合理化を迫られた常磐炭砿が、余剰鉱員ら600人の受け皿として建設したテーマパーク。創業者の故中村豊氏が、視察で訪れたハワイにほれ込み、石炭掘削時の“厄介者”である温泉を活用した。2月には累計来館者5千万人を突破。施設の顔であるポリネシアンショーのダンサーは独自に養成している。